1969 (昭和44)年 3月13目、大阪市教組東南支部役員選挙で、書記次長に立候補した木下浄教諭が労働条件の改善などを訴えた挨拶状を組合員に配布したのに対し、部落解放同盟大阪府連と矢田支部は、挨拶状を「差別文書」と一方的に断定、推せん文に名前をつらね…
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