上杉聡氏(大阪市立大学)は枝葉すらも誤るという例

 「これでなっとく!部落の歴史」という著書は誤りだらけだが、枝葉すらも誤りだという例がある。
 部落は「門地」でなく「社会的身分」にという誤りである。P191に1946年の貴族院憲法改正案特別委員会での憲法担当大臣の答弁をその根拠としている。担当大臣が「貴族がこの社会的身分であると云うことは申しません。むしろ主たる関係は門地と云う方に属すると思って居ます。社会的身分と申しまするのは、結局社会的なる事情によって起こって居る一つの特性から来る身分であります、それは丁度人の上に貴族を考えるのと同じような意味に於いて、反対の側に今日考えられて居るある人々の集団があるのではないか・・・」という答弁を根拠に、部落は社会的身分の問題であると結論づけているのである。
 担当大臣は「部落問題は社会的身分の問題であると結論づけていない。」のにもかかわらず、上杉氏は、それらしきことを言っているから、そうであると断定しているのである。
 ちなみに、育鵬社の公民教科書には、「部落問題は門地の問題である」と書かれている。
 門地というのを辞書で引けば、「門地というのは、家柄、系譜のよしあしによる家の位置づけ。その基準は時代により異なるが,基本的には古代の天皇,貴族に先祖がつながるものがよいとされ,姓を源平藤橘とするのはその代表。同一の家系では傍系よりも直系,新しい家よりも古い家がよいとされた。」というようなことが書かれている。
 社会的身分というのを辞書で引けば、「人が社会において一時的ではなく占めている地位で、自分の力ではそれから脱却できず、それについて事実上ある種の社会的評価が伴っているものを意味する。」と言うようなことが書かれている。
 部落問題は、家柄の問題かと言えば、???ということになるのは確かだ。
 では、社会的身分の問題かと言えば、???ということになるのは確かだ。
 最高裁判例で考えると明らかだ。

最大判昭和25年10月11日】
憲法一四条一項の解釈よりすれば、親子の関係は、同条項において差別待遇の理由としてかかぐる、社会的身分その他いずれの事由にも該当しない。

*親子関係は社会的身分ではないとしている。

最大判昭和39年5月27日】
要旨
 町長が町条例に基づき、過員整理の目的で行なつた町職員に対する待命処分は、五五歳以上の高齢者であることを一応の基準としたうえ、その該当者につきさらに勤務成績等を考慮してなされたものであるときは、憲法第一四条第一項および地方公務員法第一三条に違反しない。

*高齢であることは社会的身分ではないとしている。

【東京高決平成5年6月23日】
要旨
嫡出でない子の相続分を嫡出である子の相続分の二分の一とする民法九〇〇条四号ただし書の規定は憲法一四条一項に違反する。

*非嫡出子に対する差別は社会的身分による差別にあたるとしている。
*結婚していない男女の間に生まれた非嫡出子(婚外子)の遺産相続分を嫡出子の半分と定めた民法の規定が、法の下の平等を保障した憲法に違反するかが争われた2件の家事審判の特別抗告審で、最高裁大法廷(裁判長・竹崎博(ひろ)允(のぶ)長官)は平成25年9月4日、規定を「違憲」とする初判断を示した。14裁判官全員一致の結論。

最判昭和30年8月18日 業務上横領】
要旨
刑法二五三条の業務上他人の物を占有するということは、犯罪者の属性による刑法上の身分であるが、憲法一四条にいわゆる社会的身分と解することはできない。

*犯罪者は社会的身分ではない。

最大判昭和26年8月1日・常習賭博】
要旨
刑法一八六条の賭博常習者は、憲法一四条にいわゆる「社会的身分」ではない。

最判昭和24年6月16日 傷害詐欺事件】
要旨
判決中に「被告人は土木請負業関根組の最高幹部であつた」と判示したからといって、それは本人の経歴を示したものにすぎず、直ちに被告人に対してその社会的身分または門地によって差別的取扱いをしたものと解することはできない。

最高裁判例を見限り、非嫡出子が社会的身分にあたることだけは確かである。

大阪府教委チャレンジテストここが問題だ、どうすればよいか?

*府立高校入試・・学力検査(450点)+内申書(450点)=900点満点で決まる。

大阪府内申点は5段階相対評価(5,4,3,2,1という評定がつく)。
相対評価というのは、全員100点満点の結果が出ても全員が5評価になるわけではなく、誰かが1評価になるというわけだ。
(現状では、この相対評価自体に問題点がある。)
中学校3年時の各学校評価内申点がつく。その内申点内申書の点数が何点か決まる。

内申点は各学校の相対評価でつくから、優秀校の生徒は不利である。劣等校の生徒は有利である。だったらチャレンジテストをやって、優秀校と劣等校を分別して、優秀校が不利にならないようにすれば良い。(これが府教委の理屈)

*各学年でチャレンジテストをやる。中学3年時のチャレンジテストで各学校の平均点を比較して優秀校、劣等校を決定して、例えば優秀校のA中学校の内申平均点を4として、劣等校のB中学校の内申平均点を2とすれば、優秀校の生徒が入試に不利にならないようになる。(これが府教委の理屈)

*その結果がどうなるか考えよう。
 A中学校B中学校も分かりやすいように生徒が3人だとしよう。
 チャレンジテスト結果
 A中学校(100点、100点、40点)平均点80点
 B中学校(100点、20点、0点)平均点40点
  このチャレンジテストの結果から
  A中学校の内申平均点を4としよう。(A中学校は優秀校とする)
    内申持ち点は 4×3=12 となる。
  B中学校の内申平均点を2としよう。(B中学校は劣等校とする)
内申持ち点は 2×3=6  となる。
 次に、この内申持ち点ををもとにして、それぞれの内申平均点になるように、各中学校3人の内申点をつけてみよう。内申点は(5,4,3,2,1)のどれかである。
 A中学校 100点→5 100点→5 40点→2
 B中学校 100点→4 20点→1 0点→1
というのが、妥当な付け方だろう。
 結果は、劣等校と評価されたB中学校で100点をとった生徒は、内申点が5ではなくて、4になることが分かる。

*中学校でどういうことが起こってくるのか。
 チャレンジテストの平均点を上げる競争が起こってくる。一番簡単な平均点の上げ方はというと、
 A中学校では、40点をとる生徒に欠席してもらう。すると、平均点は100点にアップする。当然内申平均点は5になる。内申持ち点は5×3=15にアップする。その結果は、
 A中学校 100点→5 100点→5 欠席した40点→5
というように、全員5にできる。
 B中学校も同様に、0点をとる生徒に欠席してもらうと、平均点は60点にアップする。当然内申平均点は3になる。内申持ち点は3×3=9にアップする。その結果は、
 B中学校 100点→5 20点→3 欠席した0点→1
というように3人のうち2人は内申点をアップすることができる。

 各中学校では、0点をとると予想される生徒に欠席してもらう働きが出てくるだろう。劣等校と評価されそうな中学校から優秀校と評価されそうな中学校への越境入学、通学が増えるだろう。

*府教委よ、どうしてもチャレンジテストをやりたいのなら、こうしなさい!

 中1、中2は3月に、中3は1月にテストを行う。その結果は、生徒個人の絶対評価として生徒個人の内申点とする。例えば、80点以上は5、20点以下は1というように。内申点絶対評価とすればよいのだ。
 そもそも相対評価とするから問題が生じるのだ。入試テストの得点は絶対評価ではないか。
 優秀校にも劣等生はいるだろうし、劣等校にも優等生はいるだろう。生徒個々人を絶対評価すればよいわけだ。


 

「部落問題」に関する高校教科書記述の問題点に関して

                亀谷義富

(1)はじめに
  以下の感想、意見は、あくまで亀谷個人の見解であって、特定の団体、組織とは無関係です。
 誤解をされる方、誤解をしようとされる方がおられますようなので、あらかじめ書いておきます。
 ご意見などがありました、お寄せください。
 なお、すべての教科書、すべてのH28年版を検討したわけではありませんので、その点もご了解ください。

 小学校、中学校教科書に「部落問題」が出てくる。その内容の問題点は、かつて指摘したので繰り返さないが、50年前の現状認識に留まり、解消しつつあるという観点が欠落していることが最大の問題点である。
 高校の教科書であるが、日本史、現代社会、政治・経済と3種類の教科書が「部落問題」に関わっている。一言で言えば、日本史はそれなりに歴史研究の成果が反映されており、「部落問題」と肥大化、特化させず、歴史認識の中で「部落問題」にふれるというならそれなりに有意義であるが、明治以降の記述には問題点が多く、不適切な記述も多い。。
 そして、現代社会、政治経済の教科書たるや、50年前の現状認識であり、お粗末の一言に尽きる。具体例をあげながら見ていきたい。

(2)日本史教科書から
1、江戸時代
(山川、日A303、H24B5)9P
 領民たちは、大名に年貢や労役をおさめたが、武士からは安全を保護してもらう、いちだん低い身分と見下されていた。村に住むものを百姓、町に住むものを町人と呼んだ。その下には被差別身分もあった。武士と領民にも、それぞれ髪の形・服装・言葉が異なっていた。一目、一言でそれぞれの身分がわかるような社会であった。
*要点を的確にまとめている。
(東書、日A308、H28B5)10P
 江戸時代には、武士・百姓・町人(商人と職人)がそれぞれの職能によって区分され、居住地も区別された。死牛馬の処理や皮革製造などに従事させられたえたとよばれる身分の人々や、芸能や番人などで生活した非人と呼ばれる人々もいて、差別の対象となった。
*生業と夫役との区別の説明がない。
(清水、日A310,H28B5)15P
 城下町には武士だけでなく、手工業者や商人も集められ、農村部の百姓身分とは区別されて、町人身分とさせた。江戸時代の身分制が「士農工商」といわれるのはこのためであるが、実際には百姓の次・三男などが都市へ奉公に出たり、豪農豪商が御用金を納めて苗字・帯刀を許されるなど、比較的柔軟な側面もあり、そのことが民間社会の活力にもなっていた。また、百姓・町人身分の下にえた・非人といわれる賤民身分がおかれ、埋葬・葬送業務や死んだ牛馬の処理(皮革製造業)あるいは最下級官吏として警察・刑吏などの業務に従事したため、百姓・町人から差別されることになった。
*生業と夫役との区別の説明がない。
(清水、日B306,H25B5)110P
 江戸幕府は、安定した支配体制を維持するために秀吉以来の兵農分離政策をすすめた。そこで人々の社会的地位や商業は固定的となり、身分として世襲されるようになった。人々の身分は基本的に武士と農民、町人に区分されたが、他にも様々な社会集団があった。武士(武家、侍)は政治や軍事の面でさまざまな特権を持つ支配身分であった。全人口の1割にも満たない存在であったが、苗字を名のったり、2本の刀を携帯できる(帯刀)特権を持っていた。武士にも将軍を頂点に大名・旗本・御家人、さらに足軽までと幅ひろい格差があり、家柄によってさらに処遇に差がつけられた。人口は武士より少ないが、天皇家や公家なども支配階級であった。
 被支配身分としては、全人口の8割以上を占めて農業・漁業・林業などに従事していた百姓、大工や鍛冶などの手工業者である職人、商業を営む商人などがあった。百姓には、村役人・本百姓を中心に水呑百姓があり、名子・被官・譜代などとよばれる隷属農民がいた。また、職人には親方・弟子、商人にも番頭・手代・丁稚といった徒弟制度があり、上下の身分関係が強かった。
 これらの身分の下に、長吏(えた・かわた)や非人とよばれた人々がいた。彼らは、零細な農業、死んだ牛馬の解体作業、皮革製品や履き物の製造、地域の警備・見回り、刑罰の執行業務などの仕事に従事した。また、旦那場という独自の職場をもっていた。罪を犯した者が非人とされる場合があったが、もとの身分にもどることもできた。えた・非人は条件の悪い居住地を強いられ、職業や結婚などでさまざまな規制と差別を受けた。ほかの身分と見た目で区別させるために、服装や髪形にも制限がくわえられた。
 このほか、僧侶や、儒者、医者、修験者・陰陽師などの宗教者、芸能者など多様な集団を形成していた。
*賤民身分だけが、職業や結婚などでさまざまな規制と差別を受け、ほかの身分と見た目で区別させるために、服装や髪形にも制限がくわえられていたかのごとく誤解させる内容となっている。
(山川、日B307、H25B5変形)169P
 江戸時代は身分秩序が重んじられ、個人がなんらかの集団に所属し、職能に応じた身分に編成された。支配身分の武士と被支配身分の百姓・町人が、基本的な身分であった。武士は将軍を頂点にした主従関係で結ばれる大名や旗本・藩士からなり、軍役を負担し、政治と軍事を独占して統治を行い、苗字・帯刀や切捨御免などの特権をもっていた。天皇や公家、上層の僧侶・神職らも領地を与えられ、支配身分の一員であった。
 百姓は村の住民で、脳論・漁業などに従事し、陣夫役などの夫役を負担した。町人は家持の商人・手工業者らを中心とする町の住民で、伝馬役などの人足役を負担した。手工業者は、その職能に応じた技術労働の役を負担し職人と呼ばれた。このほかに、一般の僧侶や神職、修験者などの宗教者、また芸能者など、基本的な身分に収まり切らないさまざまな職業による区分があった。儒学者たちは、こうした身分に上下の序列をつけ、「士農工商」と呼んだ。
 その最下部にえた・非人などの被差別民がいた。えたは、戦国時代から近世初期にはかわたと呼ばれていたが、しだいにえたの蔑称が用いられ、17世紀末には服忌令や生類憐れみの令も出て、賤視する差別意識が定着した。彼らは村で農業に従事しつつ、死牛馬の解体処理、皮革業・履物業などを営んだ。幕府や藩は、皮革の上納と行刑役・牢番をつとめさせた。繰り返される飢饉や刑罰により新たな非人が増加し、乞食や芸能稼ぎをするとともに、行刑役や村・町の番人などをつとめた。えた・非人は、居住場所や衣服、結婚など、生活全般にわたる社会的差別を受けた。
*えたと非人との生業、夫役の違いが分からない。被差別民という方も適切ではない。被差別民だけが社会的差別を受けているという理解になる記述は不適切だ。
(山川、日B309、H28A5)186P
 近世の村や都市社会の周辺部分には、一般の僧侶や神職をはじめ修験者・陰陽師などの宗教者、儒者・医者などの知識人、人形遣い・役者・講釈師などの芸能者、日用と呼ばれる肉体労働者など、小さな身分集団が多様に存在した。そうした中で、下位の身分とされたのが、かわた(長吏)や非人などである。かわたは城下町のすぐ近くに集められ(かわた町村)、百姓とは別の村や集落をつくり、農業や、皮革の製造・わら細工などの手工業に従事した。中には、遠隔地と皮革を取引する問屋を経営する者もいた。しかし、幕府や大名の支配のもとで、死牛馬の処理や行刑役などを強いられ、「えた」などの蔑称で呼ばれた。
 非人は、村や町から排除された乞食を指す。しかし、飢饉・貧困や刑罰により新たに非人となる者も多く、村や町の番人を務めたり、芸能・掃除・物乞いなどにたずさわった。かわた・非人は、居住地や衣服・髪型などの点で他の身分と区別され、賤視の対象とされた。
 これらの諸身分は、武士の家、百姓の家、町人の家。職人の仲間など、団体や集団ごとに組織された。そして、一人ひとりの個人は家に所属し、家や家が所属する集団を通じて、それぞれの身分に位置づけられた。
*研究成果が反映された丁寧な説明である。
2,明治時代
(山川、日A311,H28A5)37P
 まず身分制については、大名と公家を華族、武士を士族、農工商を平民とあらため、1871(明治4年)には、それまでえた・非人とされたいた人びとを、いわゆる身分解放令によって平民同様とした。平民には苗字を赦し、異なる身分間の結婚や、職業の選択、居住の変更などを自由にした(四民平等)。
*四民平等の中味は新身分制度であることを説明している。
(山川、日B309,H28A5)265P
 新政府は、四民平等のたてまえや外国への体裁や民間からの建議などもあって、1871年(明治4年)8月、今後は、賤民の身分・職業を平民と同様に取り扱う、いわゆる解放令を布告した。政府が解放令を出したことの意義は大きかったが、それに見合う十分な施策は行われなかった。そのため結婚や就職などでの社会的差別は続いた。また、従来は彼らに許されていた特定の職種の営業独占権がなくなり、逆に兵役・教育の義務が加わったので、これらの人々の生活はかえって苦しくなった。
*十分な施策が行われたら問題は起きなかったという説明である。十分な施策の中味は何かということは説明されていない。営業独占権を保障し、兵役・教育の義務をかさなければ良かったのかということにもなる。
(実教、日A305、H25AB)18P
 1869年、政府は、新たに華族(公家・大名)、士族(武士)、平民(農工商)の身分を制定し、平民の苗字や華族・士族・平民間の結婚の自由、職業、居所の自由などを認める政策をすすめ(四民平等)、江戸時代の身分制は廃止されました。また、身分解放令が出され、えた・非人などもその差別呼称が廃止され、平民に組みこまれましたが、社会的差別はその後も続きました。
*身分解放令という言い方は適切でない。
(東書、日A308,H28B5)44P
 また、1871(明治4年)には、それまで身分外の身分とされたいたえた・非人の称を廃止し、身分・職業ともに平民同様だという布告を出した(賤称廃止令)。
*賤称廃止令という言い方が適切である。
(清水、日B306、H25B5)156P
 さらに、1871年には賤民廃止令(身分解放令)をだして、かわた(えた)・非人の身分や職業は平民と同様に取り扱うこととした。しかし、実際には、彼らに対する社会的・経済的差別は残された。
*なぜ、残されたのかという説明がない。
3、大正時代
(東書、日A308、H28B5)100P
 また「四民平等」とされた近代社会にあっても、長年にわたり多くの差別に苦しめられてきた被差別部落の人々は、みずからの力で解放に向けて立ち上がり、1922年全国水平社を結成した。(全国水平社宣言とポスターあり)
*特殊部落民という表現が書かれた水平社宣言を載せるのは時代錯誤で不適切。
(実教、日A309、H28B5)99P
 また、被差別部落の人々は、同情に頼ることなく自分たちの力で差別からの解放を勝ちとるために。全国水平社を創立した。(全国水平社宣言と説明、荊冠旗の説明あり)
*特殊部落民という差別語を使うことを是認するような説明は止めるべきである。
(清水、日A310、H28B5)108P
 明治維新における身分解放令のあとも、社会的な差別に苦し続けてきた被差別部落の人びとによる、平等を求める動きは活発化し、1922年には、全国から集まった3000人の被差別部落民が自分たち自身の行動で平等を実現し、差別に対して闘うことを決議して、全国水平社を結成した。水平社の運動は全国に広がり、1年後には全国に支部が結成された。(荊冠旗あり)
被差別部落民という人びとが存在していたことを前提にした不適切な説明である。
(山川、日B309、H28A5)331P
 被差別部落の住民に対する社会的差別を、政府の融和政策に頼ることなく自主的に撤廃しようとする運動も、西光万吉らを中心にこの時期に本格化し、1922(大正11)年、全国水平社が結成された。
*この程度の簡略な説明で十分である。
(第一、日A312、H28B5)112P
 1871(明治4年)にいわゆる「解放令」が出されたのちも、差別に苦しめられてきた被差別部落の人々は、自分たちの力で差別を撤廃しようと、1922(大正11)年に全国水平社を結成した。その後各地に水平社の支部がつくられ、部落解放運動が展開された。(水平社宣言、後半部分だけ、と説明がある)
*水平社宣言を載せるのなら後半部分だけで良い。
4,昭和時代
(山川、日B309,H28A5)401P
 この時期には、部落差別などにみられる人権問題も深刻となった。全国水平社を継承して、1946(昭和21)年に部落解放全国委員会が結成され、1955(昭和30)年に部落解放同盟と改称した。しかし、部落差別の解消は立ち遅れ、1965(昭和40)年の生活環境の改善・社会福祉の充実を内容とする同和対策審議会の答申にもとづいて、1969(昭和44)年には同和対策特別措置法が施行された。(注に地対財特法施行までの出来事がふれられている)
部落解放同盟という1運動団体だけを取り上げ、地対財特法が2002年に終了したことにふれられておらず、いまだに同和対策事業が続けられているという誤解を与える記述になっている。
(東書、日A308,H28B5)154P
 戦後の社会混乱のなかで、国民の生活を守るためのさまざまな活動が広がり、労働組合や農民組合、部落解放団体、女性解放団体、住民団体が組織された。
*この程度のあっさりとした記述で十分である。
(第一、日A312,H28B5)157P
 また、日本農民組合や、全国水平社の精神を受け継いだ部落解放全国委員会(のちに部落解放同盟に発展)が結成された。(注に特別措置法が制定されたことが書かれている)
部落解放同盟だけを取り上げ、同和対策事業が続けられているとの誤解を与える。

(3)現代社会教科書から

(東書、現社313,H28B5)66P
しかし、実際にはわたしたちの周囲には、多くの差別問題がある。植民地支配に由来する在日韓国・朝鮮人問題など、在日外国人に対する社会的差別はその一つである。被差別部落出身者への差別、アイヌ民族に対する差別、男女間の不平等、障がい者への差別や偏見などをなくすことも大きな課題であり、平等権の実現に向け、不断の努力が必要である。(注に、水平社宣言)
*時代錯誤の注、被差別部落出身者というのが存在することを前提としたとんでもない記述である。
(実教、現社314,H28A5)118P
部落差別の問題(同和問題)は、封建的身分制のもとでいやしい身分とされ、職業・住居・結婚等あらゆる生活面で差別的取り扱いを埋めてきた人々が、いまなお同じような差別を受け続けているという問題である。こうした部落差別の撤廃を求める運動は、1922年の「全国水平社」結成以来大衆運動として続けられてきた。国の対策としては、1969年に同和対策事業特別措置法が制定され、地域改善対策特別措置法(1982年)を経て、地域改善対策特定事業財政特別措置法(1987年)へと受け継がれてきた。
*50年前の現状認識、今も措置法が続いているかのごとき説明、運動や行政による問題解決の成果の説明がないのは致命的である。
(実教、現社315、H28B5)83P
 被差別部落の問題もまだ解決されていない、被差別部落の人びとは、1922年に「全国水平社」を結成し、差別の撤廃を求める運動を続けてきた。政府も1965年に同和対策審議会答申を発表し、差別解消をめざしてきたが、こんにちでも商業・居住・結婚などさまざまな面で差別が見られる。
*50年前の現状認識。「被差別部落はどこにあるのか?○○さんは被差別部落の人か?」と生徒から聞かれたら、どう説明するつもりだ。「今は、もう無いと 」教えなくてどうするのだ。
(清水、現社316,H28B5)104,105P
 現代の社会においても。人種差別、民族差別、男女差別、部落差別、障がい者に対する差別、病者に対する差別、そして「いじめ」など、不法・不当な差別や偏見・排除などが残っている。(注に同対審答申の一部が載せらている)
*1965年当時の現状認識を現在の現状認識として教えようとする内容である。
(清水、現社317,H28A5)107P
 歴史的に形成された身分制度にもとづく部落差別の問題もある。全国水平社の結成(1922年)にはじまる部落解放運動の発展とともに、第二次世界大戦後は、同和対策審議会答申(1965年)などにもとづく施策が進められた。だがこんにちでも、差別が全面的に解消されたとはいえず、その解決が国民的課題として急がれる。*清水版の教科書は、どれもこれも50年前の大昔の教科書だといわざるを得ない内容。
(帝国、現社318,H28B5)72P
部落差別も残っており、全国水平社が始めた部落解放運動は今も続いている。
*極めてあっさりとした記述。
(数研、現社319,H28A5)109P
政府は、差別の解消に向けて次のような取り組みを進めてきた。同和対策審議会答申(1965年)に基づく一連の同和対策事業・・・(注に答申を引用して部落差別の説明をしている)
*50年前の答申レベルの現状認識。
(第一、現社322,H28B5)58P
特に、被差別部落の人びとの、職業選択の自由、教育の機会均等が保障される権利、居住および移転の自由、結婚の自由などの市民的権利が侵害されいる。この問題の早急な解決は国の責務であり、国民一人ひとりの課題でもある。(注に全国水平社宣言が載せられ、日本初の人権宣言だという説明がある)
*約100年前の現状認識を生徒に教えている。

(4)政治・経済教科書から

(第一、政経309,H28A5)40P
被差別部落の人びとは、職業選択の自由、教育を受ける権利、居住及び移転の自由、婚姻のじゆうなどの市民的権利が侵害されている。この問題の解決は国の責務であり、国民一人ひとりの課題である。(資料として、全国水平社宣言の抜粋、同対審答申(抄)が載せられている)*現代社会の教科書と同じで、100年前の現状認識。
 東書、実教、清水、山川、などの教科書も、現代社会の教科書と同様の記述であり、問題点も同じである。

(5)私なりの結論
 高校の日本史、現代社会、政治経済 などの教科書をあらためて読んでみたが、山川の江戸時代の身分制の記述は教える価値はある。それ以外の教科書は、教える価値がない。教えない方がましであるという、結論になる。 教科書検定制度に関しては、あれこれ問題点があり、検定制度がないのが最良だと考えている。しかし、検定制度がある現状からいえば、教科書検定に携わっている学者、役人は、部落問題に関して教科書をきちんと読んだらどうだ、まじめに検定せんかいな、といわざるを得ない。

「同和問題が解決した時とは?」と高校生の子どもに尋ねられたら?

 自分の子どもが高校生だとしよう。子どもから尋ねられたら、どう答えるだろうか、と考えてみた。
 たぶん次のような会話になるだろう。
属人主義の答え方
(親)あなたのクラスメイトに、自分のご先祖様が、武士だったからと言って、偉そうにしている人はいる?
(子)そんなクラスメイトは、いないなあ。
(親)あなたのクラスメイトに、自分のご先祖様が、賤民だったと言って、卑下している人はいる?
(子)そんなクラスメイトは、いないなあ。
(親)あなたのクラスメイトに、ご先祖様の身分を理由にして、友だちつきあいをしない人はいる?
(子)そんなクラスメイトはいないなあ。
(親)あなたのクラスでは、同和問題はもう解決していると思うよ。
属地主義の答え方
(親)あなたのクラスメイトに、自分が生まれた所や、住んでいる所が、例えば高級住宅地だと言って、偉そうにしている人はいる?
(子)そんなことを言う人は、嫌われて友達ができないなあ。そんなクラスメイトはいないなあ。
(親)あなたのクラスメイトに、自分が生まれた所や、住んでいる所が、例えば公営住宅だと言って、卑下している人はいる?
(子)そんなことを卑下しているようでは、友達はできないなあ。そんなクラスメイトはいないなあ。
(親)あなたのクラスメイトに、生まれた所や、住んでいる所を理由にして、友だちつきあいをしない人はいる?
(子)そんなクラスメイトはいないなあ。
(親)あなたのクラスでは、同和問題はもう解決していると思うよ。

部落問題に関する基本判例から

1,矢田事件、民事、大阪地裁1970年判決
「原告らの思想信条、内心の自由を侵すものであり、教育の本質に反し、裁量の範囲を著しく逸脱した裁量権の乱用というものであって、本件各処分が違法であることは明らかである。」として
損害賠償額、原告2名には各165万円、6名には135万円。
2,八鹿高校事件
 刑事事件 1,2審最高裁とも有罪判決
 民事事件 
 1982年 兵庫県に5700万円支払いで和解
 1990年 神戸地裁豊岡支部判決
 「原告らの側に非難さるべき落ち度は全く認められない」として、解放同盟幹部らに慰謝料3000万円。
3,大阪市中央公会堂使用取り消し事件損害賠償
 大阪地裁1975年判決
「部落解放を実現する理論やその方法は唯一無二ではある得ないし、他の批判を許さぬものではない」として、
 損害請求額全額認容。
4,大阪浪速窓口一本化事件
 大阪高裁1979年判決
部落解放同盟等の判断で、同和関係個人給付が受けられないとすれば、本件給付行政を民間団体に委ねるだけでなく、大阪市固有の判断権を放棄するに等しい」として、
 大阪市の同和行政を違法無効とした。
5,埼玉県加須市長選挙無効事件
「現職市長の同和施策を批判して、『同和施策是か非か』と相手候補が選挙ポスターに記載したところ、解放同盟が差別だとして批判し、市選管が選挙ポスターに紙を貼って見えなくした。」
 東京高裁1976年2月判決 選挙無効判決。
 最高裁1976年9月判決
「選挙の自由公正を害する、このポスターの文言は、歴史的社会的理由による差別待遇を温存助長するおそれはない」として、選挙無効判決。

部落差別永久化法案がダメな理由

地域改善対策協議会(総理府設置)意見具申1986年から引用

差別行為の法規制問題に関して法規制がダメなことは、1986年に意見具申されている。

(以下引用)
 差別行為は、もちろん不当であり、悪質な差別行為を新たな法律で規制しようという考え方も心情論としては理解できないわけではないが、政策論、法律論としては、次のような問題点があり、差別行為に対する法規制に導入には賛成しがたい。
・・結婚差別に関しては、それを直接処罰することは、相手方に対して意に反する婚姻を強制することにもなりかねず、憲法に抵触する疑いも強いと考えられる。
・・求職者の採否は、企業がそのものの全人格を総合的に判断して決めるものなので、採用拒否が同和関係者に対する差別だけによるものとして法を適用することは、極めて困難と考えられる。
・・差別投書、落書き、差別発言等は、現刑法の名誉毀損で十分対処することができる。対処することができないもの、例えば、特定の者を対象としない単なる悪罵、放言までを一般的に規制する合理的理由はない。
・・立法上必要とされる「部落」「同和地区」「差別」などの用語については、刑事法規に必要とされる厳密な定義を行うことは難しく、明確な構成要件を組み立てることは極めて困難である。

 

大阪市「平成27年度人権問題に関する市民意識調査」から

                亀谷義富


(1)同和問題を解決させない意識調査
 調査は2015年12月に実施。2016年6月に報告書公表。大阪市のHPで読むことができる。
 人権問題に関すると書かれているが、内容は同和問題意識調査であることは一目瞭然である。その内容は、読めば分かるが、同和問題を解決させない悪魔のサイクルになっている。
 同和問題で、「差別はあると思いますかと聞く」→「学校や教育啓発活動で、差別はあると教えられた。」→「教えられたと言うことは、差別はあるだろう。」→「意識調査によれば、市民は差別はあると思っている。」→「市民に同和問題に関して啓発活動をさらに行っていく必要がある。」というサイクルを繰り返すのが目的の意識調査である。
 この意識調査によって、就職や、結婚や土地購入などの差別があると市民に意識的に教えるのが目的になっているのだ。
 
(2)意識調査で同和問題の差別があると市民に教えることができたか?
 できたかどうか報告書を見てみよう。

*個別の人権問題に関する基本的な意識の状況について尋ねたところ、「関心がある」「少し関心がある」と答えた人の合計の割合は、『(2)こどもの人権』が89.6%と最も高く、次いで『(19)個人情報の流出や漏えいの問題』が84.0%、『(3)高齢者の人権』が82.5%となっている。
一方で、「あまり関心がない」「関心がない」と答えた人の合計の割合が最も高いのは、『(15)性的指向が少数派の人々の人権』で47.8%、次いで『(14)ホームレスの人権』が46.0%、『(16)性同一性障がいの人々の人権』が43.6%となっている。
 と報告書に書かれている。
「関心がある」という比較なら、女性(42%)、子供(60%)、高齢者(48%)、障がい者(43%)、個人情報(53%)という結果になっている。同和問題の関心が今ひとつだから、もっと同和問題の啓発をしなければならい、などという結論を、調査票作成に関与した、神戸学院大学の神原文子さんなら導き出すかもしれないね。

*自分自身の結婚相手を考える際に、気になること(なったこと)について尋ねたところ、「1.仕事に対する相手の理解と協力」と答えた人の割合が55.0%と最も高く、次いで「3.経済力」が54.0%、「2.家事や育児の能力や姿勢」が44.8%となっている。
自分のこどもの結婚相手を考える際の場合は、「3.経済力」と答えた人の割合が59.5%と最も高く、次いで「1.仕事に対する相手の理解と協力」が48.3%、「2.家事や育児の能力や姿勢」が47.2%であった。
 と報告書にある。
 同和問題は、自身の場合は、20,3% 子供の場合は、20,5% である。これは、離婚歴(自身24,5% 子供29,6%)よりも低く、学歴(自身14,5% 子供18,7%)より高い。
 「性格」や「人柄」などという5年前にあった質問項目を今回削って同和問題の%を上げようという努力はそれなりに報われたといえるかなあ。
神戸学院大学の神原文子さんなら、5人に一人が気にすると言っている、だから同和問題の結婚差別はまだまだ厳しく、差別が行われていて、解決されていないなどとという結論を引き出すのではなかろうか。

*問5 あなたは、住宅を購入したりマンションを借りるなど、住宅を選ぶ際に、価格や立地条件などが希望にあっていても次の(1)〜(5)のような条件の物件の場合、避けることがあ
ると思いますか。すべての項目についてお答えください。(それぞれ1つに○)
 という質問が調査票にある。
 これぞ究極の差別質問である。価格と立地条件が希望に合っていれば、借りたり購入したりするのが普通の大阪市民であり、価格と立地条件が希望に合わなければ借りたり購入したりしないのがこれまた普通の大阪市民である。にもかかわらず、こういう質問をするのは恣意的、差別的と言わざるを得ない。
 どうしても大阪市民に、このような差別質問をしたければ、このような差別質問をしてみたらどうだろう。
 「隣にヤクザの親分の家があるが、50坪の新築物件で、なんと販売価格があり得ないという総額100万円の超格安物件です。あなたなら購入しますか。」という質問で、「私は買います。」と答えた人に、「購入すると言っているけど、ほんとうにそれでも購入するつもりですか、ヤクザの抗争が増えていますよ、何かあっても知りませんよ。」と言って止めさせようとした結果、「価格と立地条件に合っているけど、そこまで言われるのなら止めようか。」と言わせるような質問だ。
 
*住居を選ぶ際の意識について尋ねたところ、「避けると思う」「どちらかといえば避けると思う」と答えた人の合計の割合が最も高いのは、『(1)同和地区の地域内である』で54.0%、次いで『(3)近隣に低所得者など、生活が困難な人が多く住んでいる』が46.6%となっている。
一方で、「避けると思う」「どちらかといえば避けると思う」と答えた人の合計の割合が最も低いのは、『(5)近くに精神病院や障がいのある人の施設がある』で40.5%、次いで『(4)近隣に外国籍住民が多く住んでいる』が42.3%となっている。
と報告書にある。
 同和問題で土地差別があると大阪市民に言わせることに成功している。こういう嫌らしい質問を考えて、お望みの回答を引き出すのが、神戸学院大学の神原文子さんならではの手腕だと評価しよう。

*問7で同和問題をはじめて知ったきっかけについて尋ねたところ、「2.学校の授業で知った」と答えた人の割合が32.6%と最も高く、次いで「1.親や周囲の人の話で知った」が27.9%、「10.同和問題については、知らない」が8.1%となっている。
 と報告書にある。
 学校の占める割合が高い。学校で教えられるから、そしてその教え方に問題があるから同和問題が解決しないともいえる。神戸学院大学の神原文子さんなら、学校の占める役割が高いからもっと学校で教えよと言うだろう。

*問8 あなたは、同和問題について、学習した(または啓発を受けた)ことがありますか。それはどのような機会を通じてでしたか。また、それらの機会を通じて、同和問題についてどの程度、理解が深まりましたか。(それぞれ1つに○)
 同和問題に関する学習経験について尋ねたところ、「学習したことがある」と答えた人の合計の割合が最も高いのは、『(10)テレビ番組や映画などを観た』で40.8%、次いで『(2)中学校での授業』が38.2%、『(1)小学校での授業』が35.4%となっている。
 一方で、「とても理解が深まった」「理解が深まった」と答えた人の合計の割合は、『(10)テレビ番組や映画などを観た』で30.9%、次いで『(2)中学校での授業』が24.3%、『(1)小学校での授業』が22.1%となっている。
と報告書にある。
 神戸学院大学の神原文子さんなら、テレビ番組や映画など同和問題啓発の作品を作って、児童生徒、親などにどんどん見せていくべきだと言うだろう。学校での授業の比重も高く、がっこうでもどんどん教えなさいとも言うだろう。
 そいうように、答えるように仕組んであるのだから予想される回答なのだ。

*問9 あなたは、大阪市において、同和問題に関する差別意識や偏見が、現在も残っていると思いますか。(○は1 つ)
 同和問題に関する差別意識や偏見について尋ねたところ、「わからない」と答えた人の割合が32.4%と最も高く、次いで「現在も残っている」が30.6%、「薄まりつつある」が26.6%となっている。
 と報告書にある。
 差別がある、差別がある「現在も残っている」と言わせたいのにもかかわらず、大阪市民の目は確かだというわけだ。神戸学院大学の神原文子さんなら、しめしめ30%を超える市民に「現在も残っている」と言わせることができた、自分で自分を賞めてあげたいとでも言うだろう。

*問9 で同和問題に関する差別意識や偏見が「さらに強くなっている」「現在も残っている」「薄まりつつある」と答えた人に対して、その理由を尋ねたところ、「6.昔からの偏見や差別意識を、そのまま受け入れてしまう人が多いから」と回答した割合が59.3%と最も高く、次いで「7.いまでも同和地区の人が、行政から優遇されていると思うから」が39.9%、「1.結婚や住居の移転などに際して、同和地区出身者やその関係者とみなされることを避けたいと思うから」が31.6%となっている。
 と報告書にある。
「薄まりつつある」というのを、問9に含めるのは、意図的であり、不適当である。個人への責任の回答を引き出そうというわけだが、「行政から優遇されている」と思わせる実態があるから市民はそう考えるのだ。一般対策で同和問題の特別対策をやろうとするような市の姿勢を市民はよく見ているのだ。

*問9 で同和問題に関する差別意識や偏見が「3.薄まりつつある」「4.もはや残ってない」と答えた人に対して、その理由を尋ねたところ、「5.同和地区の生活環境が大きく改善されたから」の割合が25.0%と最も高く、次いで「1.自分の身近にいる人が話している内容などから」が24.5%、「8.とくにこれといった理由はない」が23.6%となっている。
と報告書にある。
 実態を見聞きすれば、このような結論になるのはとうぜんであり、さらに数値がアップするだろう。

*同和地区の人は、就職するときに不利になることがあると思うかについて尋ねたところ、「しばしば不利になることがある」「たまに不利になることがある」「しばしば、あるいはたまにの区分不明」と答えた人の合計の割合は、48.2%となっている。一方で、「不利になることはない」と答えた人の割合は14.1%となっている。
 と報告書にある。
 就職差別がまだまだあると宣伝しているのだから、そう考えるのは当然だ。ただ、ブラック企業がはびこり、非正規雇用が広がる中で、不利になるだろうと考える人が多くなるのも当然だろう。

*同和地区の人は、結婚する際に相手の親族などに反対されることがあると思うかについて尋ねたところ、「しばしば反対されることがある」「たまに反対されることがある」「しばしば、あるいはたまにの区分不明」と回答した人の合計の割合は60.5%であるのに対し、「反対されることはない」は4.8%となっている。
 と報告書にある。
 これも結婚差別がまだまだあるという教育啓発を行っているのだから当然だ。神戸学院大学の神原文子さんなら、就職差別、結婚差別があるあるという大阪市の教育啓発の成果があらわれている、もっとやるべきだという結論を引き出すだろう。

*人権問題について学習した中でいちばん印象に残っているものについて尋ねたところ、「とくに印象に残っているものはない、学習したことがない」と答えた人の割合が17.0%と最も高く、次いで「北朝鮮当局による拉致問題」が14.8%、「同和問題」が13.6%となっている。
 と報告書にある。
 人権問題のトップに拉致問題をもってきたいというのが、政府筋の意向である。その意向が反映した結果と言える。

*今の大阪市は市民一人ひとりの人権が尊重されているまちであると思うか尋ねたところ、「そう思う」「どちらかといえばそう思う」と答えた人の合計の割合は52.9%、「そう思わない」「どちらかといえばそう思わない」と答えた人の合計の割合は43.9%となっている。
 と報告書にある。
 それなりに評価されているともいえるし、今ひとつ評価されていないともいえる結果である。

*個別の人権問題に関わって「人権が尊重されるまち」であると思うか尋ねたところ、「そう思う」「どちらかといえばそう思う」と答えた人の合計の割合は『(1)男性と女性がともに、仕事や家事、地域での活動に参加し、その個性と能力を十分に発揮できるまちである』が61.9%と最も高く、次いで『(5)高齢者が住み慣れた地域で安心して暮らせるまちである』が59.0%、『(3)こどもが各々の個性を発揮し、夢や目標に向かって、いきいきと暮らせるまちである』が52.5%となっている。一方で、「そう思う」「どちらかといえばそう思う」と答えた人の合計の割合が最も低いのは、『(13)ホームレス状態にある人が自立して再び地域社会の中で生活を営めるまちである』で26.1%、次いで『(12)犯罪被害者やその家族が再び平穏に暮らせるようになるために、地域の人々の理解や協力が得られるまちである』が34.5%、『(14)LGBTなどの性的少数者の人が差別を受けることなく自分らしく生きることができるまちである』が39.7%となっている。
 と報告書にある。
 いずれにしても、同和問題の比重が低いといえる。

*個別の人権問題に対する大阪市の取組みについて尋ねたところ、「特に必要」「必要」と答えた人の合計の割合は、『(4)障がいのある人の人権に関する取組み』が92.6%と最も高く、次いで『(2)こどもの人権に関する取組み』が91.0%、『(19)個人情報の流出や漏えいの問題に関する取組み』が89.2%となっている。
一方で、「必要とは思わない」と答えた人の割合は、『(6)アイヌの人々の人権に関する取組み』が35.3%と最も高く、次いで『(15)性的指向が少数派の人々の人権に関する取組み』が24.8%、『(16)性同一性障がいの人々の人権に関する取組み』が24.4%となっている。
 と報告書にある。
 いずれにしても、これも同和問題の比重が低いというわけだ。神戸学院大学の神原文子さんなら、もっと同和問題と答えてくれる人がいても良いのに、当てが外れたと思われるかもしれない。

*各区役所に開設している人権相談窓口の認知について尋ねたところ、「知っている」と答えた人の割合は19.2%であるのに対し、「知らない」は77.9%となっている。専門相談員による人権相談窓口の認知について尋ねたところ、「知っている」と答えた人の割合は14.7%であるのに対し、「知らない」は81.8%となっている。
と報告書にある。
 人権相談と言えば、部落解放同盟そのものとも思えるような人権協会に丸投げしているような状態では、市民の認知度が今ひとつとなるのはやむを得ないだろう。