2011-01-01から1年間の記事一覧

同和対策を終了する理由

一番詳しく同和対策を終了する理由が書かれているのは、平成14年3月に総務省大臣官房地域改善対策室が発行した「同和行政史」である。この資料は、地方公共団体、各種関係団体に配布購入されたものであり、政府見解を代表するものである。 第1編同和行政…

地租改正とは

明治政府が1873(明治 6)年 7月、その財政的基礎を確立するためにおこなった土地制度およびそれにかかわる税制上の改革。その内容は、封建領主による土地の独占的所有を廃止し、土地の私的所有をみとめるとともに、封建的な現物貢租を廃止し、地価の 100分の …

国民救援会とは

日本国民救援会の略称。弾圧による犠牲者およびその家族の救援と、労働運動や農民運動にくわえられる不当弾圧、人権じゅうりんや大災害に対して、人権と民主主義をまもることを主要な任務として活動している団体。 1945(昭和20)年10月に解放運動犠牲者救援会…

国民融合をめざす部落問題全国会議(略称「国民融合全国会議」) とは

「部落解放運動の統ーと刷新をはかる有志連合」の結成、「解放運動の現状を憂い正しい発展をねがう全国部落有志懇談会」の開催をへて、 1975(昭和50)年 9月21日、大阪の吹田市で全国31都府県から約 1,500名が参加して結成された組織。 全国部落解放運動連…

安保闘争とは

日米安全保障条約 1951年 9月8日調印改訂に反対して、日本の民主勢力が1959(昭和34)年から翌年にかけて 1年半以上にわたって展開した歴史的な大闘争。 1959年 3月28日、社会党・共産党(オブザーパー)総評をはじめ数百万の組織された民主勢力を代表する百数…

セツルメントとは

隣保事業ともよばれる。スラムなど一定の地域に居住する労働者や貧困者の生活と文化の向上をはかることを目的として、教育・経済保護・文化厚生施設・相談活動・調査活動などをいとなむもので、その活動の中心として多くの場合ホールをもち、そこに定住して…

衡平社(運動)とは

朝鮮人の中できびしい差別と迫害をうけていた人びとの解放運動団体。白丁は、屠殺、柳器の製造販売などを行い、李朝後期(18〜19世紀〉には職業も特殊化し、生活圏も隔離され、異端視された。 日本の全国水平社結成に刺激されて 1923(大正12)年衡平社を創立。…

奈良県同和行政の終結に関する調査集計表

*奈良県同和行政の終結に関する調査集計表2 0 0 9年11月1日現在 国民融合をめざす部落問題奈良県会議 1、平成21年度で、旧同和地区を対象にした物的事業がありますか。あれば、その事業名と平成21年度の予算額をご記入ください。*奈良市 環境…

和歌山県「同和行政」の終結に関する調査

2011年2月現在(1)平成22年度で、旧同和地区にある公共施設の維持・管理・運営(助成)事業があり ありますか。あれば、その施設名と、平成22年度の管理等に関する予算額をご記入ください。 職員を派遣していれば、その人数と人件費の予算額をご記入下さい。*和…

弾左衛門とは

祖先は摂津池田から出て源頼朝につかえたというが、明らかでない。代々弾左衛門を襲名。徳川家康が江戸を建設する時、皮革の調達と関東賎民身分の総取締りの特権をあたえられたというが、正確には 17世紀後半(慶安の頃〉と考えられている。 長吏頭(エタ頭〉…

行政闘争とは

部落解放全国委員会が全国水平社の部落委員会活動にまなび、第7回全国大会(1951)で決定された運動方針にもとづいて闘ったオール・ロマンス事件(1951年)および和歌山県西川県議差別事件(1952年)の経験をとおして確立させた差別行政反対闘争…

勤評闘争とは

1958 (昭和33)年をピーグに、日本教職員組合(日教組)が広範な人々の支援をえてたたかった、教員に対する勤務評定反対闘争をいう。 教育公務員特例法の改悪を内容としたいわゆる「教育2法」の制定(1954年〉教育委員の公選制から任命制への切りかえ (1956年…

市民的権利とは

イギリス革命やフランス革命など反封建のブルジョア革命によって勝ち取られたブルジョア的権利のこと。 部落解放運動のなかで、部落差別を市民的権利にかかわる問題として明確に認識してくるのは、全国水平社第13回大会 1935年からで、「部落差別の反社会性…

矢田事件とは

1969 (昭和44)年 3月13目、大阪市教組東南支部役員選挙で、書記次長に立候補した木下浄教諭が労働条件の改善などを訴えた挨拶状を組合員に配布したのに対し、部落解放同盟大阪府連と矢田支部は、挨拶状を「差別文書」と一方的に断定、推せん文に名前をつらね…

家父長制的家族制度とは

構成員個人の人格や人聞の結合をこえて成立・存続する「家」集団の内部で、その唯一の代表者である家長の絶対的な権力のもとに不平等な身分事的支配関係がつらぬかれていた前近代的家族の制度。 日本では明治以降も、家父長制的家族制度が法的にも維持・温存…

八尾市斉藤市議「除名」事件とは

八尾市議会本会議で、同和住宅の入居問題をとりあげようとした共産党の斉藤俊一市議の代表質問を阻止するため、解放同盟事大阪府連は 1969(昭和44)年 6月27日と 28日の両日、約1000名を動員して市役所を占拠したが、斉藤市議は「解同」の圧力や暴行に屈する…

職業起源説とは

部落差別の原因は、人のいやがる「いやしい職業」にたずさわっていたからだという考え。 この「いやしい」仕事の一つとして、ケモノを殺したり、皮をはぎ、それを加工したりする皮革があげられた。 もともと原始時代では誰もがケモノをとって生活していたし…

差別用語とは

本来、あきらかに差別・侮蔑の意図をもって表現される文字や言葉のことである。 歴史的には、 1922(大正11)年全国水平社創立大会で決議された「吾々に対しえた及び特殊部落民等の言行によって侮辱の意志を表示したる時は徹底的糾弾を為す」の方針にもとづい…

部落産業と呼ばれた産業とは

以前に、一般的に部落産業と呼ばれていた業種を列挙すると、1皮革関係、2ビニール加工、3食肉関係、4屑物回収、5その他〈草履表、花緒、ブラシ、人造真珠など〉に大別される。 明らかに業種にかたよりがあるが、業種だけで部落産業であったかどうかを単純に…

部落差別封建遺制論(単純遺制論ともいう)とは

封建社会から資本主義社会になってからも、今日にいたるまで、部落差別が残っているのは、日本の政治、経済、社会、文化などの領域に前近代的・封建的なものが残存しているためである。したがって資本主義をさらに発展・高度化させ、こうしたおくれた部分を…

宗教起源説とは

部落差別の原因は、宗教上のケガレの思想にふれる仕事にたずさわっていた人がいたからだという考え。 仏教には、生きものを殺すことを忌む思想があったし、平安時代にはさまざまな宗教がまざりあって、死や血のケガレにふれることを忌みきらう「触臓の思想」…

部落解放同盟(略称「解放同盟」、「解同」)とは

1946 (昭和21)年 2 月に結成された部落解放全国委員会が、 1955(昭和30)年の第10回全国大会の決定にもとづいて発展的に改組し、組織の名称を「部落解放同盟」に改めた。 これを契機に解放同盟は、名実ともに大衆団体としてその運動を飛躍的に発展させるとと…

福岡連隊事件とは

1926 (大正15)年 1月福岡歩兵第24連隊でおこった差別事件に対し、全国水平社九州連合会・青年同盟福岡県連が中心となり糾弾闘争に立ちあがり、労働組合九州連合会・日本農民組合福岡県連・労農党福岡県連・北九州無産青年団体連盟などの積極的な支援をえて、…

橋本せつ子さん不当配転問題とは

大阪市浪速区の青少年会館における学童保育の指導員(大阪市民生局職員〉として勤務していた橋本さんが、狭山事件事を低学年で教えることに反対したことや、矢田問題の木下挨拶状を「差別文書」と認めなかったことで「解同」浪速支部から「糾弾」をうけたこと…

高松地裁差別裁判事件とは

1932 (昭和7)年12月に香川県鷺田(さぎた)村馬場の久本米ーらと丸亀市のカフェ一女給の石原政枝が坂出港に向う船中で知りあい、政枝はカフェーの前借金37円を支払い父が承諾すれば久本と結婚してもよいと話した。そこで高松市の友人宅で数日間同棲し、その…

東大阪市なんとびっくり!乱脈同和のこの事実!

(平成20年度東大阪市包括外部監査結果報告書から) (はじめに) 東大阪市の乱脈同和の実態に関しては、平成20年度包括外部監査報告書で厳しく指摘され、早急に改善するように監査人が勧告しました。資料・引用はすべて上記報告書による。全資料は、イ…

天皇直訴事件とは

岐阜第68連隊に 2等兵として入隊していた北原泰作が、1927 (昭和 2)年11月19日に名古屋練兵場でおこなわれた閲兵式で、軍隊内の差別撤廃をうったえた直訴状を天皇にわたそうとした事件。 福岡連隊事件に大きな感銘をうけ、軍隊内の差別とたたかう決意をもっ…

失業対策事業とは

公共事業にできるだけ多数の失業者を吸収し、その生活の安定をはかることを目的として、 1949(昭和24)年 5月に「緊急失業対策法」が制定された。もともと失業・半失業者が多かった地域では、この法律の適用をうけて失対事業に就労する者がとくに多かった。 …

羽曳野市「人権に関する市民意識調査(2011年実施)の問題点」

問題点は、多々あるが、一番の問題点は、調査項目の問5である。問5 あなたは、あなた自身またはあなたの家族が、次の方々と結婚することについてどのように思いますか。((1)〜(4)のそれぞれひとつに○)(1)同和地区出身者 (2)障がい者 (3)…

部落学校とは

1872(明治 5)年学制実施以来、近代教育が普及することとなるが、当初小学校の建設資金は地元の負担とされた。 一般の小学校への入学を拒否された地域の児童は地域内に支校・分校として独自に設置された教場への通学を余儀なくされた。 こうした学校の存在は…