形式的な解放令(「詳説日本史B」242ページ)

17世紀末ころから幕藩体制が変化しはじめると,幕府や諸藩は、最下層の身分であるえたなどに対し,居住地・職業・服装などの生活のあらゆる面において差別を強化し,宗門帳の別帳化をはじめ農工商との差別を深めさせた。このため、18世紀後半ころから、これらの人びとの抵抗運動が強まり、身分をかくして居住地から抜け出したり,百姓一揆に加わったりした。幕末・維新期には,幕府や一部の藩ではみずからの勢力を補強するために、賎民身分から抜け出したいという彼らの切望を利用して,御用金の上納や軍役の徴用をはかる見
返りとして一部を解放したが,幕府の崩壊により解放は中断した。
 新政府は、四民平等のたてまえや外国への体裁や民間からの建議などもあって,1871(明治4)年8月,今後は、賎民の身分・職業を平民と同様に取り扱ういわゆる解放令を布告した。
 政府が解放令を出したことの意義は大きかったが,それに見合う十分な施策はおこなわれなかった。そのため、結婚や就職などでの社会的差別は続いた。また従来は彼らに許されていた特定の職種の営業独占権がなくなり,逆に兵役・教育の義務が加わったので,これらの人びとの生活はかえって苦しくなった。