朝団理論とは


1965 (昭和40)年の部落解放同盟第20回全国大会以後に台頭し、 1969(昭和44)年から1970(昭和45)年にかけて解放同盟の指導理論としてまとめあげられた見解。 1956(昭和31)年の第11回大会前後から朝団善之助(当時、常任中央委員、京都府連委員長〉が折にふれて主張していた若干の見 解を集大成したものであるところから、一般に「朝団理論」とよばれた。朝団 理論の骨子は、「差別についての命題」と、「部落差別の本質」、「部落差別の社会的存在意義」および「社会意識としての差別観念」という「差別についての 3つの概念規定」とから成っており、それぞれの内容は次の通りである。


1. 「日常、部落に生起する問題で、部落にとって、部落良にとって不利益 な問題は一切差別である」


2. 「部落差別の本質は、部落民に市民的権が行政的に不完全にしか保障されていないこと、なかでも就職の機会均等の権利が保障されていないため主要な生産関係から除外されている点にある」


3. 「部落差別の社会的存在意義は、その本質から言って封建社会でも資本主義社会でもかわっていない。部落差別は部落民を直接に圧迫し搾取することを目的として作り出されているのではない。封建時代における部落差別は経済的にはその時代の主要な生産のにない手であった農民にたいし搾取と圧迫をほしいままにし、政治的にはそこから発生してくる反抗をおさえる安全弁として政策的に作り出されかつ維持された。明治維新後の資本主義の初期の段階で
は、『資本』の原始蓄積の手段として部落差別が利用された。今日独占資本主義の段階では独占資本の超過利潤追求の手段として部落民を主要な生産関係の生産過程から除外し、相対的過剰人口のなかでの停滞的、慢性的失業者の地位におとしこむことで、部落民労働市場の底辺をささえさせて一般労働者の低賃金、低生活のしずめとしての役割を果たさせ、政治的には部落差別を温存助長して部落民を一般労働者と対立させ分割支配する道具として利用しているのである」


4. 「部落民に対する社会意識としての差別観念は、その本質に照応して、日常生活化した習慣と伝統の力、多様な形で支えられる教育の作用によって、自己の意識するとしないとにかかわらず、客観的には空気を吸うように一般大衆の中に入りこんでいく。このようにして社会意識としての部落民に対する差別観念がひとたび人々をとらえると……社会制度がかわっても、たとえば根のない花が一定期間もちこたえるように、なお頑強に残ろうとする保守的性質をもっている。なぜならば社会意識として一般的普遍的に存在する部落民に対する差別観念には『意識』のほかに伝統の力、習慣・情緒、ある種の気分などからなる心理的内容が含まれており、こういう諸要素は単に部落差別を観念的に理解したぐらいでは容易にぬぐいさりがたい性質を有しているからである」


以上のような朝団理論に対して、部落の現実を無視した非科学的な観念的独断論であり、部落排外主義地の理論であるという批判が展開され、さまざまな角度からその誤りが指摘されてきた。