榎原吹田市長つるしあげ事件

1971 (昭和46)年 6月7目、部落解放同盟大阪府連が約600名を動員して吹田市役所におしかけ、同年 4月の市長選挙社会党共産党の支持をうけて当選した榎原一夫市長に対し、「部落解放第5回全国研究集会に出席しなかったのはケシカラン、謝罪せよ」と不当な言いがかりをつけ、「窓口一本化事」を強要して7時間あまりにわたり市長を監禁、市議会を流会させた事件。その後も「解同」の妨害行為は連日つづけられ、市役所の行政事務もマヒするにいたったが、榎原市長は、部落解放同盟正常化連権をはじめとする労組や民主団体の革新吹田市政をまもる闘いに支援されて、「解同」の蛮行に屈せず、き然とした態度をとりつづけた。しかし 6月29目、「解同」は 800人を動員して市役所にすわりこみ、 3時聞にわたって市長を監禁、市議会も「解同」の策動に手をかし、「市長非難決議」を強行採択して市長に圧力をかけるなかで、市長もついに心身ともにつかれはて、「窓口一本化」を認める覚書をかかされた。