衡平社(運動)とは

 朝鮮人の中できびしい差別と迫害をうけていた人びとの解放運動団体。白丁は、屠殺、柳器の製造販売などを行い、李朝後期(18〜19世紀〉には職業も特殊化し、生活圏も隔離され、異端視された。
日本の全国水平社結成に刺激されて 1923(大正12)年衡平社を創立。その趣意書は「従来差別と圧迫に苦しんできたが、我等は既に甲午の勅令 1894年李朝が出した身分制廃止令〉により朝鮮民族と同格に加えられており、侮辱的虐待をうける理由はない」というものであった。
1930年の第4回大会で侮辱的言辞に対する反抗や全国水平社との提携が決議された。水平社も第 3回大会で衡平社との連帯を決議した。