中学校公民教科書の部落問題記述の問題点

    

1,はじめに
 2012年から使用される中学校公民教科書(中学校3年生が学習する)の部落問題記述は、どの教科書も部落問題解決の到達点を無視したものであり、認識は同対審答申が出された1965年のままである。
 現行の中学校社会科の学習指導要領や解説には、個々の権利や社会問題のどれを取り上げよとは全く書かれていない。(数学や理科では、細かく教える項目や範囲が規定されている)
学習指導要領の公民的分野の内容として「(3)私たちと政治 ア、人間の尊重と日本国憲法の基本的原則」として「人間の尊重について、基本的人権を中心に深めさせ」としている。「内容の取り扱い」では、「日常生活と関連付けながら具体的事例を通じて政治や経済などについての見方や考え方の基礎が養えるようにする」とある。
 つまり、何を取り上げ、どれくらい書くかは、各教科書会社、教科書執筆者にまかされているのである。にもかかわらず、どの教科書も似たり寄ったりの内容なのは、教科書会社特有の横並び意識と、法務省文部科学省の共管となっている財団法人「人権教育啓発推進センター」作成の人権啓発パンフレットの影響が大きいと思われる。
 現在、公民教科書を出している教科書会社は以下である。日本文教出版(日文)教育出版(教出)東京書籍(東書)帝国書院(帝国)清水書院(清水)育鵬社(育鵬)自由社(自由)の7社である。括弧内は略称。

2,差別でひとくくりにする教科書
 日文、東書、教出、清水は、部落差別、アイヌ民族差別、在日外国人差別を。帝国 は、部落差別、アイヌ民族差別を。育鵬、自由は、部落差別と在日外国人差別をひとくくりにしている。
「依然として残るさまざまな差別に対して、わたしたちには何ができるのでしょうか。」(教出46P)
「現代に根強く残る差別とはどのようなものか、考えてみましょう。部落差別、アイヌの人々への差別とはどのようなものなのでしょうか。」(帝国44P)
 アイヌ問題は、少数民族問題、先住民族問題であり、部落差別は民族差別ではない。各社とも民族問題と混同させる内容である。
 各公民教科書の章立ての建て方に問題があり、部落問題は、「社会的差別」の問題なのか、「権利の不平等」の問題なのか、「共生社会の妨げ」の問題なのか、教科書によって異なっている。
帝国・・現代社会に残る差別
日文・・等しく生きる権利
育鵬・・ともに生きるために
 なお育鵬は、西光万吉(部落差別)知里幸恵アイヌ)を並べて先人として紹介している。
「彼の部落解放論は、明治維新で唱えられた祭政一致の理念に従い、古事記の日本神話で天照大神が治める高天原(神様たちが住むとされる天上界)を理想とし、平等な社会を実現するというものでした。」(育鵬68P)
 彼の部落解放論とあるが、部落解放論というのは、祭政一致の理念に従ったものだという誤解を与えるものである。

3,「部落差別」とは何かが分からない教科書
 どの教科書も、「部落差別」とは何かがわかるように記述されていないのだ。
「部落差別は、中世から江戸時代を通じて歴史的に形づくられてきたものであり、明治政府による身分制度の否定ののちも、根強く残ってきた。」(自由68P)
「部落差別は、憲法が禁止する門地(家柄、血筋)による差別のひとつにあたります。」(育鵬56P)
「部落差別とは、被差別部落の出身者に対する差別のことで、同和問題ともよばれます。」(東書42P)
「部落差別とは、職業選択の自由や結婚の自由が、被差別部落の出身者に対して完全に保障されないことをさします。」(日文54P)
 他の教科書も似たり寄ったりであり、このような記述で中学生が理解できるのかはなはだ疑問である。「被差別部落」とは何かという説明がない。
「日本に長くつづく被差別部落に対する差別もそのひとつである。・・・政府は差別解消のための諸法律の制定や同和地区の生活・教育環境の改善をすすめてきたが、・・・」(清水39P)
 清水にいたっては、「被差別部落」と「同和地区」の言葉を混在させ、同一のものとして取り扱っている。清水に限らずどの教科書も、「被差別部落」「同和地区」「部落」という言葉の説明がないのだ。
「日本における部落差別の問題は、人権侵害と差別に関わる重要な問題です。結婚や就職の際に身元を調べられ、部落の出身であることがわかると、婚約や採用を取り消されることなどが今でもあります。このような実態は、残念ながら依然として人びとの間に差別意識が残っていることを示しています。」(教出46P)
 部落差別というのは、特定地域に対する差別なのか、特定地域に住む人に対する差別なのか、特定地域に住んでいた人に対する差別なのか、特定地域に生まれた人に対する差別なのか、特定の家柄に対する差別なのか、特定の血筋に対する差別なのか、差別意識による差別なのか、教科書ごとに異なっていて、まともな説明がないのである。
 結局は、封建的身分制度の残滓の問題であるという的確な説明がないことにつきるのだが。
 
4,公民の教科書なのに不正確な歴史の教科書
 封建的身分制度の残滓の問題であるという的確な説明の代わりにあるのが、不正確な歴史記述である。
「中世の時代から町民や農民などのいずれの身分にも属さず芸能や清掃・皮革業などにたずさわり差別視されていた人びとがいました。部落差別は、かれらが集団をつくり集落に定住を始めた江戸時代に、同じ身分集団とされてからおこったものです。当時は、えた・ひにんと呼ばれました。差別は身分制度が否定された明治時代以降も続きました。」(育鵬56P)
「江戸時代のえた、ひにんという差別された身分は、明治時代になって、いわゆる「解放令」によって廃止されました。しかし、明治政府は差別解消のための政策をほとんど行わず、その後も、就職、教育、結婚などでは差別は続いていきました。」(東書42P)
のような歴史記述がある教科書もある。育鵬は、部落差別の起こりという側注で上記の説明を行っているが、この歴史記述は正確ではない。東書は、明治政府は差別解消の政策をほとんど行わず、とあるが差別解消の政策は何かは分からない。
 封建的身分制度に関しては歴史教科書で扱うべきものであり、封建的身分制度の残滓の問題を、公民できちんと扱うべきである。
 あえて、書くとすれば以下のように書くべきである。
「明治政府は、江戸時代の身分秩序を廃止しました。天皇の一族を皇族、公家と大名などを華族、武士を士族とし、百姓、町人、賤民とされていた人を平民としました。結婚や,移住、職業選択の制限は廃止されましが、華族・士族・平民という新たな身分(族籍)にもとづく戸籍がつくられ完全な四民平等にはなりませんでした。その後の明治政府の政策により、農村では地主と小作人、都市では独占資本家(財閥)と労働者がつくりだされ、貧富の差が拡大し、なかば封建的な世の中が続いたため、旧賤民の人々は、十分な教育の機会が保障されず、就職の差別、結婚の差別、賤視が続きました。1946年、日本国憲法が公布され基本的人権が保障され、小作人に農地が解放され,財閥も解体されましたが、旧賤民の人々の居住地の生活環境は改善されず、就職、教育、結婚などで差別が続いていました。」

5,差別の解消は進んでいないと教える教科書
 どの教科書も同和対策事業によって一定の生活環境の改善が進んだと書かれているが、依然として差別の解消は進んでいないと書かれている。
「対象地域の生活環境はかなり改善されてきましたが、就職や結婚などでは差別がみられます。」(日文54p)
「結婚や就職の際に身元を調べられ、部落の出身者であることがわかると、婚約や採用を取り消されることなどが今でもあります。」(教出46P)
「現在もまださまざまな場面で差別や偏見があります。」(帝国44P)
清水の39Pの側注には、
「江戸時代に、「えた」「ひにん」として賤民身分とされた人びとは、職業、服装、居住地など生活のすみずみまでとくにきびしい制限をもうけられ、差別された。こうした被差別部落の人びとは、明治時代はじめの「賤民廃止令」によって法的にはその身分から解放されたが、こんにちまで実生活上の差別が残されている。」とある。
 これを素直に読めば、江戸時代から今日までずっと、職業、服装、居住地に制限があり、差別が続いていると中学生は思うだろう。




6,同和対策事業の終了を書いている教科書は2社だけで、その理由はなし
 帝国、自由だけが、2002年に同和対策事業が終了したことに触れているが、他の教科書は、同和対策事業のスタートは書いても終了は書かず、引き続き同和対策事業が行われていると誤解させる記述になっている。
「政府は差別解消のための諸法律の制定や同和地区の生活・教育会環境の改善を進めてきたが、差別を許さないという国民のいっそうの自覚や行動が求められている。」(清水39P)
 清水に至っては、政府は現在も同和対策事業をやって努力してのに問題が解決しないのは、国民の自覚の無さと行動しないことだと言わんばかりである。
 終了を書いている2社の教科書も、その理由は書かれていない。だから、なぜ終了したのかも分からない。
「2002(平成14)年には国の同和対策事業は終了している。しかしなお、同和地区の出身者に対し、結婚や就職などに関していわれのない差別が残存しているとも指摘されている。」(自由68P)
 自由は、終了したのにもかかわらず、いわれのない差別が残存しているというのであれば、終了したのは間違いだという説明をしていることにもなる。

7,差別の解消は進み同和対策事業が終了したと教える教科書でなければいけない
 先に触れた「人権啓発教育推進センター」が作成した「同和問題と人権」というパンフレットには、国の取り組みに関して「同和行政史」(総務省大臣官房地域改善対策室発行・平成14年)からいくつもの引用がある。しかし、同和対策事業が終了した理由には触れず、依然として差別が解消されていないという記述なのは残念である。
 その「同和行政史」には、同和対策事業終了する理由がきちんと書かれている。この本は、地方公共団体、各種関係団体用に発行されたものであり、政府見解というべきものである。
 第1編同和行政の変遷の78p、79Pに「特別対策を終了する理由」という項目がある。
「特別対策を終了する理由は何であろうか。主な理由としては次の三つがある。
 第一は、国、地方自治体等の長年の取り組みによって、同和地区を取り巻く状況は大きく変化したことである。・・・・・同和対策審議会答申等で指摘されていた物的な生活環境の劣悪さが差別を再生産するような状況は改善されてきた。差別意識解消に向けた教育・啓発も様々な創意工夫の下に推進されてきた。その結果、例えば、同和関係者が同和関係者以外の者と結婚するケースは大幅に増加の傾向を示しており、差別意識も確実に解消されてきていることがうかがえる。」
 教科書の記述であるが、行政による取り組み、教育・啓発により結婚などの差別意識も確実に解消されてきていると書くべきである。特別措置法の実施以来33年間にわたる同和対策事業によっても解消が進まなかったのであれば、教科書は、「国は差別解消が進んでないのに特別対策を終了しました。」と記述すべきだろう。
「第二は、このように同和地区が大きく変化した状況で特別対策をなお継続していくことは、同和問題の解決に必ずしも有効とは考えられないことである。
・・・・・全国の同和地区を全て一律に低位なものとみていくことは、同和地区に対するマイナスのイメージの固定化につながりかねず、こうした点からも特別対策をいつまでも継続していくことは問題の解決に有効とは考えられない。また、総務庁実態調査によると、教育、就労、産業などの面でなお格差が存在しているところもみられるが、なお存在している格差の背景には様々な要因があり、特別対策によって短期間で集中的に解消することは困難と考えられる。」
 就職差別があるのではなくて、就労の面での格差がある。その格差も様々な要因によると言っている。国の実態調査では、同和問題による就職差別はないのである。
「第三は、経済成長に伴う産業構造の変化、都市化等によって大きな人口移動が起こり、同和地区においても同和関係者の転出と非同和関係者の転入が増加した。このような、大規模な人口変動の状況下では、同和地区・同和関係者に対象を限定した施策を継続することは実務上困難になってきていることである。」
 同和対策事業が終了して10年。とりわけ大阪においては、転出、転入による人口移動はさらに激しくなっている。だれが同和関係者かどうかは、ますます分からなくなってきているのが実情である。さらに地域自体が大きく変貌し、どこからどこまでかということも分からなくなってきているのが実情である。だれがだれやら、どこがどこやら分からないのに差別がはたしてできるのか。実務上困難という意味は、そういう意味でもあるのだ。

8,同対審答申を資料に掲載することについて
 各社とも巻末に同対審答申の抜粋(同和問題の本質)を載せている。ところが、一番肝心要にあたる部分を見事に欠落させている。
 その部分とは、
同和問題もまた、すべての社会事象がそうであるように、人間社会の歴史的発展の一定の段階において発生し、成長し、消滅する歴史的現象にほかならない。したがって、いかなる時代がこようと、どのように社会が変化しようと、同和問題が解決することは永久にありえないと考えるのは妥当でない。」
である。必ず解決するものだと明言されている部分である。これを真っ先に掲載しないで何を教えるのだ。この部分は、何十年たっても普遍である。
 しかし、その他の部分はどうであろうか。なにしろ、1965年に出された同対審答申である。その当時の同和問題に対する認識としては妥当であるとしても、47年前の認識である。10年一昔というが、昔々昔々昔の認識を2012年の部落問題の認識とさせて良いはずがない。

9,どのような教科書であればよいのか
 一番良いのは、公民教科書から部落問題学習をなくすことだ。不正確で誤った認識を中学生に与え続けるより、何も教えない方が良いのだ。
 2010年に行われた大阪府民意識調査の報告書を読んだが、人権学習、啓発を受けた人ほど結婚排除意識、忌避意識に対する効果が低いということが明らかになっている。これらのことは、府民意識調査検討会でも検討委員から語られていたことでもある。ある検討委員は「人権教育、人権啓発を進めても、自分自身の忌避意識を変ええていない。今の人権学習、啓発では、さて自分はどうするかということになると、変わらない。」とまで語っていた。
 どうしても載せるのであれば、部落差別は解消しつつあるということをきちんと書くべきである。
 同和問題の現在であるが、結婚に関しては、若者だけに限らないが、「婚活」に象徴されるような、結婚できない状況、結婚しない状況、結婚を取り巻く家庭、地域の変化にまず目を向けるべきだろう。就職に関しても、「就活」に象徴されるような今日の非正規雇用の状況にまず目を向けるべきだろう。
 公民教科書は、部落問題を理由にした結婚差別、就職差別自体が成り立たない実態に目を向けるべきだ。