大阪府「人権問題に関する府民意識調査報告書(神原分析編)」

大阪府「人権問題に関する府民意識調査報告書(分析編)」2012.3
榊原文子分析結果報告書を検討して

(1)神原氏の抱える自己矛盾
 他の2人(中川喜代子、西田芳正)の分析報告書には、引用文献がつけられていない。神原氏だけ引用文献がつけられている。P76にその一覧がある。
引用文献
明石市2011『明石市人権に関するアンケート報告書』
・内田龍史2007「レビュー/部落問題・人権問題意識調査の動向」『部落解放研究』(174),
75-80.
・神原文子2011「これからの人権教育・啓発の課題は何か−近年の地方自治体における調
査結果から−」『部落解放研究』193 号、64-84.
・佐藤裕 2002 「部落問題に関する人権意識調査のあり方と「差別意識論」の課題--大阪
府2000 年調査の経験から」(後編)『部落解放研究』 (146), 56-69.
・奥田均 2008 「人権意識調査の動向と今後のあり方 (特集人権行政を考える視点)」『部
落解放研究』 (181), 46-61.
 本文の中に、調査結果からの知見とは別に引用文献から書いたと思われる箇所がある。察するに、神原氏は奥田氏(部落解放同盟御用学者)などと相談を行ったのではないか。引用文献という形で奥田氏などの意見を書き込んだために、神原氏の知見と異なる内容が織り込まれた報告書となっているように思われる。神原報告書を読む際にはこの点に留意する必要がある。

(2)神原氏の分析手法は妥当か
 P3に
『本稿は、これら7つの〈視点〉からの分析結果を報告するものです。
〈視点1〉過去の人権問題についての学習経験が現在の人権意識にどのような影響を与えているか
〈視点2〉同和地区に対する差別意識(負のイメージ)が形成される要因は何か
〈視点3〉同和問題に関する人権意識と他の人権課題や差別に対する意識との間に差異はあるか
〈視点4〉同和問題に関する差別意識がなくならない理由と同和問題を解決するために効果的な方策との関係性
〈視点5〉人権問題に対する意識と実際の行動パターンとの関係性
〈視点6〉結婚における問題意識と他の差別事象との関係性
〈視点7〉住宅を選ぶ際に同和地区の物件を避ける意識を有する者と同和問題に関する差別がなくならない理由との関係性』
と、7つの視点を明示している。そして、人権意識、差別意識を測る尺度作り人権意識の高低をつけようとしている。
 P4に
『 尺度を作成するために、因子分析という多変量解析の方法を用いることにします。12 項目について、因子分析の手法としてオーソドックスな「主因子法」を用いて「バリマックス回転」を行い、「因子負荷量」が経験上の目安として0.4 未満しか示さない、因子への反応の弱い項目や、一義性に欠ける(複数の因子に強く反応する)項目を省きながら因子分析をやり直しました。
第1因子は、「排除問題意識」因子と解釈
第2因子は、「体罰問題意識」因子
第3因子は、「人権軽視問題意識」因子
「クロンバックの信頼性係数」を求めます。
「一次元上にある」ほど値は1に近付くことになります。』
と因子分析という、心理統計学の手法を用いるとある。クロンバックの信頼係数を用いる場合は、一般的に0,7から0,8の係数が必要される。
 P5に
『第3因子に係る2項目については0.417であり、数値が低いことから、尺度
化を見合わせることにします。』
とあり妥当な判断です。ところが、人権観、差別観を測る因子として第1因子は、「人権推進支持意識」因子。第2因子は、「被差別責任否定意識」因子。第3因子は、「差別容認否定意識」因子。と設定して測定した結果については、
P8で
『次に、尺度を作成する上での「一次元性」を確認するために、「クロンバックの信頼性係数」を求めたところ、第1因子0.650、第2因子0.653、第3因子0.512 と、いずれも十分に高いとはいえない結果になりましたが、今回はこのままで尺度を作成することにします。より精度の高い尺度作りが課題であることを書き留めておきます。』
というように、信頼係数が0,7にも達していないのにも尺度を作成するとあります。普通の研究者なら信頼できないとして尺度化を見合わせます。人権観、、差別感をを図る因子は信頼できないものとして、府の報告書を読む必要があります。
 また、結婚相手の条件として、第1因子は、「階層排除」因子。第2因子は、「同和地区・国籍等排除」因子。第3因子は、「理解協力」因子。第4因子は、「離婚歴排除」因子。第5因子は、「宗教排除」因子。第6因子は、「経済力排除」因子。第7因子は、「障がい排除」因子。第8因子は、「ひとり親家庭排除」因子。をあげています。そしてその数値化のために、
 P12で、
『点数が高いほど排除意識が低く人権意識が高くなるように、「理解協力」因子以外については、「気になる」として選択した場合を1点、選択しない場合を2点とし、「理解協力」因子については、「気になる」2点、「選択なし」1点としてそれぞれ平均値を求めます。』
とあるように、「理解協力」因子と他の因子の数値化のもとになる得点を変えています。
 これらのことから、神原氏は、かなり無理をして尺度化を行っていることが明らかです。分析手法には、妥当でないと考えられるところがあるのは明白です。

(3)差別意識と忌避意識との混同

 広辞苑では、差別=分け隔て・違い・区別・理由なく劣ったものとして不平等に扱うことがある。差別意識に関しては記述はなく、一般的に言葉の意味として明確な定義あるとは考えにくい。
 忌避であるが、広い意味ではあるものや事柄について嫌って避けることである。法律用語として、「日本の法律においては、除斥事由には該当しないが、手続の公正さを失わせる恐れのある者を、申立てに基づいてその手続に関する職務執行から排除すること。」を忌避というとある。忌避意識に関しては、これまた一般的に言葉の意味として明確な定義があるとは考えにくい。
 差別は不平等に扱うことであり、忌避は嫌って避けることであり、意味は明確に異なる。よって意識をして差別をするのと、意識をして忌避をするのとは明確に異なる。
 ところが、神原氏は、忌避意識を測るとして、
 P14で、
『なお、忌避意識イコール差別意識ということではなく、忌避意識は様々な差別意識の一種であることを押さえておきます(神原 2011)』
として、差別意識の一種として忌避意識はあると言っている。忌避意識は差別意識の一種だという認識自体が問題である。忌避することと、差別することとは行動様式そのものが異なるのである。忌避することは差別することの一種ではないのである。意識自体も異なるのである。異なる意識を同一視するのは問題である。
 この忌避意識云々に関する誤った認識は、人権意識、差別意識相互の関連の分析までおよんでいる。神原氏のまとめの部分の知見とも相容れないような内容となっている。察するに奥田氏等の意見が反映され結果だと思われる。
 P17に、
『「被差別責任否定意識」は、「排除問題意識」、「反忌避意識」、「差別容認否定意識」、「人権推進支持意識」と関連が高いことから、「被差別責任否定意識」を高くし、「差別は差別する側の問題であり、差別する人間が差別をやめることで差別をなくすことができる」という意識を高める取組みに力を入れることが、「人権推進支持意識」、「反忌避意識」、「排除問題意識」、「差別容認否定意識」を高めることに効果があることが示唆されます。』
というような部分がある。これなどは、大阪府民を差別する側の府民と差別される側の府民に分類し、差別は差別をする側の人間の意識より生じるから、差別をする側の府民の意識を高めればよいというという結論で観念論そのものである。差別を、する側とされる側というように個人相互の問題としてとられ、意識の高低差に起因するがごとき記述になっている。

(4)むすびにかえてから分かること

神原氏は、あれこれ知見をのべたあと、まとめにかえてで、簡潔に自己の知見を整理している。神原氏の指摘の中で重要なものを取り上げておきたい。
〈視点1〉過去の人権学習が現在の人権意識にどのような影響を与えているか
、というので、
 P63に、
『○小学校、中学校、高校での学習が特に役に立った(一番印象に残っている)と回答した人において、有意な効果が認められない。』
「長年にわたって様々な人権学習や人権啓発の取組みがなされてきたわけですが、効果を上げてきた側面と、反対に、期待されるほどの効果を上げることができていなかったといわざるを得ない側面も少なくありません。結婚排除意識や忌避意識の根強さ、同和地区に対する「反集団優遇イメージ」の低さ、また、「体罰問題意識」の弱さなどが、さらなる課題として明らかになってきました。」
というところである。忌避意識の根強さという言葉はともかくとして、小学校・中学校・高校での人権学習は効果を上げていないと言う指摘は、重要だろう。
〈視点2〉同和地区に対する差別意識が形成される要因は何か、というので、
 P70に、
『○「同和地区の人たちは就職するときに不利になる(結婚する際に反対される)」と認識しており、なおかつ、「近い将来なくすのは難しい」と認識している人ほど「反集団優遇イメージ」は低い傾向にある。○「同和地区の人たちは結婚する際に反対される」と認識していても、近い将来「完全になくせる」あるいは「かなりなくすことができる」と考えている人は、「なくすのは難しい」と考えている人よりも「人権交流イメージ」が高い傾向にある。○同和地区の人たちは「就職するときに不利になることがある」あるいは「結婚する際に反対されることがある」と認識しており、なおかつ、「近い将来なくすのは難しい」と認識している人ほど「反忌避意識」は低い傾向にある。○同和問題についての学習が特に役に立った(一番印象に残っている)と回答した人とそうでない人との間で、「反集団優遇イメージ」についても「人権交流イメージ」についても有意差はみられない。』
という知見なら、就職は不利にならない、結婚は反対されない、近い将来なくせる、というように啓発のあり方を考えなけばならないというように結論づけなけらばならないのに、神原氏は、
 P70で、
同和問題に関する講演会・研修会や府・市町村の広報誌等を通じ、「集団優遇イメージ」を払拭し、「人権交流イメージ」を高めるような、より一層の啓発が必要であることが示唆されます。・・・学校での同和問題に関する学習においては、差別の現実について認識を深める内容だけではなく、差別をなくすことのできる取組みについての紹介やアイデアをより積極的に子どもたちに伝える取組みを期待したいと思います。』
というように、的外れの結論を導き出している。さらにP71では、
『なお、今回の分析では、人権意識と自己肯定感や被受容感との関連が明らかになりませんでした。このことは、自己評価を高める取組みが無意味ということではなく、これらの取組みが人権意識とどのように関連するのか、さらに検討が必要であることを示唆しているといえるでしょう。』
というように、関連が明らかにならなかったということは、調査の結果では、「無意味」だったという結論になるのが普通なのに、調査結果を否定するようなまとめはいかがなものかと言わざるを得ない。集団優遇イメージをなくすには、集団優遇の実態をなくすことが肝要だ。実態をなくさずして、イメージをなくすことはできない。人権交流イメージにしても同様だ。人権交流を妨げる実態をなくすことをまず行政はやるべきである。学校の同和問題学習に関しても、差別が無くなりつつあるという現実認識を深める以外に解決法はないのである。
〈視点3〉同和問題に関する人権意識と他の人権課題や差別に対する意識との間の差異はあるか、に関しては、
 P71で、
『従来の人権学習において、「人権推進支持意識」や「被差別責任否定意識」を高める効果は認められているのですが、これらの人権意識が高くなっても、「反忌避意識」が高くなるとは限らないのです。この知見は、人権学習や啓発における新たな課題を提起しているといえるでしょう。』
と言っている。つまり、従来の人権学習は、建前としての人権意識は高まっているが、本音としての人権意識は高まってないと榊原氏は言っているわけだ。建前として優等生的に人権人権と言うような人間をつくってきたという指摘である。
〈視点4〉同和問題に関する差別意識がなくならない理由と同和問題を解決するために効果的な方策との関係性、に関しては、
 P72で、
同和問題における現状認識として○「差別意識は薄まりつつあるが、まだ残っている」と認識している人々において、「被差別責任否定意識」が最も高い。○「差別意識はもはや残っていない」と認識している人々において、「差別容認否定意識」、「結婚排除否定意識」、「反忌避意識」、「人権交流イメージ」が最も高い。○「差別意識はさらに強くなっている」あるいは「差別意識は現在もあまり変わらず残っている」と認識している人々の人権意識が高いとは一概にはいえない。』
というように重要な指摘をしているにもかかわらず、
 同じP72で、
同和問題解決のための取組みにせよ人権施策にせよ、人権意識が高い人の意見を、施策を講じるに当たっての一つの判断基準としてはどうかという提案をさせていただきます。』
と言っているのだ。榊原氏の言う人権意識が高い人というのは「優等生的に建前としての人権意識」が高い人のことではないのか。建前としての人権意識の高い人の意見を施策の判断基準とせよと榊原氏は主張しているのだから、自己矛盾もはなはだしい。
〈視点5〉人権問題に対する意識と実際の行動との関係性、に関して
 P73で、
『人権意識の高い人々が人権侵害を阻止するような行動を起こしやすくするための支援、たとえば、ロールプレイなどによって人権侵害の阻止の仕方を学ぶこと、人権侵害について相談・調整・救済できる機関を立ち上げることなどが重要であるといえるでしょう。』
と言っている。なるほど、ロールプレイによる具体的な行動様式を学ぶことはそれなりに効果があるかもしれない。しかし、人権侵害に関する機関については、その中身、内容についての検討が必要である。人権侵害を私人間の問題(私人間の意識の問題)として矮小化しようとすることにもなりかねない。
〈視点6〉結婚における問題意識と他の差別事象との関係性、に関して、
 P73,74で、
『長年、学校、職場、地域において、同和問題や人権問題についての学習がなされてきました。その効果として、学習経験のある人ほど、「差別は今も残っている」という認識が広がったこと、また、「差別は差別される側の責任である」と考える「被差別責任意識」が弱くなったことを指摘できます。しかし、予期せぬ“効果”として、学習経験を積むほど、「就職差別や結婚差別は将来もなくすことは難しい」という悲観的な意識が広がったということも指摘しておかなければなりません。』
と述べているが、「差別は今も残っている」という認識を広げたことがそもそも問題なのだ。予期せぬ効果ではなくて、その結果必然的に「就職差別や結婚差別は将来もなくすことは難しい」という認識が広がったのである。榊原氏は間接的には、これまでの同和問題学習が問題だったということを言っているわけだが。
 P74に、
『就職差別や結婚差別をなくすことは難しいという認識を持ってしまうと、同和地区に対するマイナス・イメージが維持され、それだけ、忌避意識につながりやすいという悪循環のメカニズムがみえてきました。このような悪循環を断ち切ることは容易ではないのですが、みんなの努力によって、少しずつでも部落差別をなくしていくことができるという希望を持てるような人権学習や人権啓発を期待したいと思います。』
就職差別や結婚差別をなくすことは難しいという認識を持たせてきた今までの人権啓発、人権学習ではあきませんということだ。
〈視点7〉住宅を選ぶ際に同和地区の物件を避ける意識を有する者と同和問題に関する差別がなくならない理由との関係性、関しては、
 P75に、
『同和地区や運動団体による活動に対してマイナス・イメージを持っているほど、同和地区を避ける傾向にあると解釈できそうです。同和地区や運動団体による活動に対するマイナス・イメージ自体が、同和地区やその住民との直接の関わりから得られたものというよりは、間接的で曖昧な、しかも、同和地区に対する差別や偏見に満ちた情報によって作られている場合が少なくありません。同和地区との関わりの必要性が重要であることは言うまでもないのですが、誰が何のために、同和地区やその住民についての差別的で偏見に満ちた情報を流すのか、さらに明らかにする必要があるといえるでしょう。』
これまでの部落解放同盟等による利権漁りの実態に目を向けずに、誤ったマイナスイメージを流すマスコミ、団体、個人などが悪いと言っているわけだ。