鈴木良「歴史の中の部落問題とその解決過程」に関して

                    

「部落問題の解決過程の研究」1歴史編(部落問題研究所)

(1)「はじめに」から
 鈴木氏は、はじめにの部分で「部落問題の前身である『賤民』身分、『えた』身分が日本社会にどのようにして生まれ、どのようにして近代日本の部落問題となり、それがどのように解決に向かうのかという根本的問題は、なお未解明のまま残されてきたように思われる。」(17P)
 という問題提起をしている。根本問題は未解明というより、試行錯誤をしてきたと言うべきではなかろうか。その結果、一応の決着をみたというべきではなかろうか。
 1965年の同対審答申には、次のように書かれている。政府見解としては、妥当なものである。
「・・・同和問題もまた、すべての社会事象がそうであるように、人間社会の歴史的発展の一定の段階において発生し、成長し、消滅する歴史的現象にほかならない。したがって、いかなる時代がこようと、どのように社会が変化しようと、同和問題が解決することは永久にありえないと考えるのは妥当でない。・・・ 」そして、解決させる方法として次のように書かれている。
「 ・・・したがって、同和地区住民に就職と教育の機会均等を完全に保障し、同和地区に滞留する停滞的過剰人口を近代的な主要産業の生産過程に導入することにより生活の安定と地位の向上をはかることが、同和問題解決の中心的課題である。・・・」この中心的課題が達成されたので、2002年の特別措置法は終了したのである。同和問題は一応の解決をみたのである。
 鈴木氏は、「身分差別が部落に対する差別として近代日本に残存したのは,身分制遺制が身分的慣習として残存したところへ,資本主義の下における部落の貧困の問題とが結合して近代日本の社会問題に転化したからである。・・・日本社会の構造変化の開始は1950年代後半に始まるいわゆる高度成長期以後であり、日本資本主義の急速な変貌とそれによる社会的激動、民主主義的運動の成長が部落問題の解決をしだいにうながしたのである。」(20P)
 と述べた後、身分論を持ち出すのである。
「・・・すなわち部落問題とは近代日本社会に残存した前近代的な社会関係、身分的諸関係の残滓の問題であると言うことが重要だと考える。・・・」(22P)前近代的な社会関係というのは理解できるが、身分的諸関係というのはいかがなものか。明治維新明治憲法をどうとらえるかによるが、封建時代の身分的諸関係は一応払拭されて、前近代的な社会関係に移行したのでないのか。
 渡辺広氏(学生時代、私が所属していた部落問題研究会の顧問)の指摘 「未解放部落は政治的関係のみによって存在しているのではない。政治的関係も経済的関係・社会的関係を基礎としているのである。未解放部落は生活諸関係の所産である。」(20P)を引用されている。渡辺先生は、私たちに「政治起源説は間違いだ、職業起源説も間違いだ,宗教起源説も間違いだ、その時代社会が生み出したものだ。」と言われていたことを思い出す。
 鈴木氏は、このようにまとめる。「一口に概括すれば、戦後のある時期までの歴史研究また部落問題研究には,本来的意味における身分論が欠如していたのではなかろうか。」(20P)この、本来的な意味における身分論というのが、今ひとつよく分からないのだ。

(2)「杉原寿一の部落問題研究について」から
 鈴木氏は、杉原氏の研究に対する批判をこの項で行っている。戦前日本における部落差別の根拠に関して、「戦前にあっては、半封建的寄生地主制を基礎とした絶対主義的天皇制の身分制が部落差別を維持したというのである。」(26P)戦後日本に関して、「『部落差別が独占資本主義の構造に位置づけられ,構造的に利用されている』との主張は否定されて,『独占資本による部落差別の政策的利用はある。』という立場に変化した。」(24P)というようにまとめられている。
 戦前日本をどう考えるかということだが、半封建的寄生地主制がなければ、そして絶対主義的天皇制がなければ、部落差別はなくなっていたかどうかという点である。戦後日本においては、この2つは除去された。にもかかわらず部落差別はなくならなかったのは事実である。戦後の独占資本の構造であるが、これも杉原氏の指摘はあたっているとは、今となってはいいがたいものがあるだろう。こういう意味では、鈴木氏の杉原氏に対する批判はあたっているといえるのではないか。

(3)「身分研究の発展」から
 江戸時代の身分が成立する条件として、まず、「支配者身分」「被支配者身分」が問われ、次に「職分」「共同組織」「役負担」の3点が問われなければまらないと、私は考えている。有り体に言えば「何をして食べていたのか」「どんな組織だったのか」「何をすることができ、させられていたのか」ということだ。「役負担」だが、義務であるということは権利でもあるということを忘れてはいけない。
 鈴木氏は、各種研究を基にして、鈴木氏の意見を述べている。「では『えた』や『非人』身分はどのように形成されたのであろうか。この賤民集団は町民や農民といった諸身分集団(具体的には町や村またはその連合など)と関係を取り結び、死牛馬の処理、清掃などにたずさわり、その職分を独占しようとした。賤民集団の形成の基礎はここにあった。」(31P)
 「えた身分」と「非人身分」は別身分であり、混同してはいけない。「えた身分」の職分は「死牛馬の処理、清掃など」だったのかということが、疑問点だ。これは「職分」というよりは「役負担」ではないのか。
「近世後期、近畿などの『えた』の場合、しだいに農地を耕作・所有し,小工業にも従事して大きな村となり,生業の基礎をたおれ牛馬処理に依存しない村も多く現れた。」と鈴木氏は書かれているが、「生業」と「職分」は異なるのかが疑問点だ。もともと、農業、小工業、雑業などあれこれが「職分」であり、「役負担」の一つが「たおれ牛馬処理」ではなかったのか。これが、鈴木氏への疑問点だ。

(4)「部落問題の成立」から
 明治維新政府は封建的身分の解体を推し進めたが、なぜ部落問題が成立したかという点に関して、鈴木氏はこのようにまとめている。
「では、旧『えた』農民はどうなったであろうか。すでに述べたように,農村共同体と部落の共同体の間には明らかな障壁が設けられていた。身分支配が廃止されたといっても江戸時代以来の慣習が継続し,村落支配層が残存した。」(34P)「では、身分遺制としての部落問題はどのように形成されたのであろうか。・・・部落には貧困層が多く滞積し,彼らは日傭い、行商や草履つくりなどの雑業によって生活せざるを得なかった。・・・部落は貧困であり、いわば裸で資本主義経済の中に放り込まれ,中世以来の伝統的な身分遺制に加えて資本主義による貧困が部落を特徴づけるものとなった。」(37P)
 身分遺制と貧困という捉え方も同感である。

(5)「地域支配構造の形成」から
 この項で、鈴木氏はさらに詳しく「部落問題の成立」に関して述べている。
「部落の貧困が近代日本の部落問題を形成させたのである。」(38P)
「部落差別を近代日本に残したものは,町村と部落の身分的関係、とりわけ農村の共同体的関係があるといわなければならない。農村の共同体は大字単位の中小地主・自作農中心の結合であり、それはきわめて強力なものであった。この共同体的結合の下で近世以来の古い慣習とりわけ部落差別が引き継がれ部落が疎外された。」(39P)
 資本主義による貧困と農村の共同体的結合が、部落問題を生み出したという捉え方も同感である。

(6)「戦後社会と部落問題」から
 鈴木氏は、「日本国憲法法の下の平等の原則が規定されても,一般町村と部落との関係はさほど変化しなかった。つまり小農民経営にもとづく農村の共同体と部落との関係はなお、変化しなかった。部落は貧困の集積地で,住民は失業対策事業や日傭いなどさまざまな雑業に従事しなければならなかった。」(41P)との指摘も同感である。
「1960年代から1970年代前半の日本社会を見てみよう。第1の特徴は日本資本主義の急速な成長である。・・・これまで農漁村に滞留していた労働力が流失し都市へ集中することになった。・・・こうした高度経済成長の下で民衆運動は大きく発展した。」(42P)との社会変化の指摘も同感である。
 高度経済成長によって、農村の共同体的結合が崩れ去るにつれて古い慣習がなくなった。民衆運動の発展により労働者の生活が向上し、社会福祉社会保障が進んだ。部落問題に関しては、同和対策事業などにより、生活水準の向上、教育の向上、生活環境の改善、青年層の労働者化などが進んだことにより、解決される条件が整ったのである。これらの諸点に関しても鈴木氏は的確にまとめられている。

(7)「現段階の日本社会と部落問題の解決」から
 鈴木氏は、「2002年3月には同和対策事業関係の特別措置法が打ち切られた。」(49P)と書かれているが、その理由に関しては、なにも触れていない。これが疑問点だ。なぜ打ち切られたのか。なぜ終了したのか。政府は、2002年の段階で部落問題は実態的には、ほぼ解決したと考えたからだ。ほぼ解決したのかしていないのか、鈴木氏は曖昧なままである。

(8)「むすび」から
 鈴木氏は、「社会構造の変化、それにともなう社会観の変化がこうした変動をもたらしている。それは古い身分的遺制を克服し平等な人間関係を作り上げる基礎的条件が成熟しつつあることを示していると思われる。今日の新自由主義の下において新たな社会的格差の拡大、労働条件の悪化などによって、今後の動向は楽観をゆるさない。しかし戦後の社会構造の変化とその下での民衆のさまざまな運動が今日の現実の基礎にあることに確信を持ち,地域からの民主主義運動を発展させていくことが必要ではなかろうか。」(51P)というようにむすばれている。
 このむすびを読む限り、部落問題解決の基礎的条件は成熟しつつあるが、部落問題はまだ解決されていないとも読めるのだ。今後の動向によっては基礎的条件は後退するとも読めるのだ。特別措置法が終了して9年が過ぎた。鈴木氏は、いまだに古い身分的遺制が残っていると考えられているのだろうか。いつまで古い身分的遺制が残ると考えているのだろうか、それが私の最大の疑問点だ。