大阪人権博物館(リバティ大阪)見学記

部落を見せ物にする?大阪人権博物館(リバティ大阪)
                

(1)はじめに
 2011年6月21日から8月28日まで、本橋成一写真展「屠場」が、また6月28日から8月28日まで、企画展「親子で学ぼう!!部落の歴史と現在」が開催されています。この写真展と企画展を見て、大阪人博物館は、研究、教育、啓発を掲げて、部落を見せ物にする博物館ではないかということを、あらためて感じました。入り口近くにある旧栄小学校の模型の解説にも「・・・地元の有力者をはじめとするN部落の人たちが出資して建設された。・・・」というように平気で「○○部落」という呼び方を使用しています。
 人権博物館は,大阪府大阪市補助金を基に運営されている博物館です。2011年6月現在の役員名簿を見ると、部落解放同盟の赤井隆史、辻本正教各氏をはじめ、人権協会、解放研究所、同企連関係者が役員になっています。これでは不偏不党の立場の博物館ではなく、部落解放同盟の考え方で運営される博物館ではないでしょうか。

(2)写真展「屠場」を見て
 1970年から80年の松原市立屠畜場の様子を撮影したものです。この屠畜場は平成元年に廃止されています。ざっと40年前の写真を見せて、部落差別と屠場を結びつける教える意図を感じます。開催に当たっての解説にも「・・・食文化の大切さと差別問題について考えようとするもの。」とあります。
 そして、本橋氏による解説にも「・・・いのちを奪うものとして、長い差別の中で彼らを支えてきたのは、職人としての誇りではないか。・・・」とあります。
 昔の屠場と部落差別を結びつけ、屠場で働く人はいわゆる「部落民」といわれる人だ。そして現在もなお部落差別は根強い、部落差別の中で屠場で働く「部落民」は「部落民としての職人」の誇りをもって生きているということを訴える意図がうかがえます。
 当時の屠場で働いている人は、普通の労働者(松原市市職員)であり、普通の労働者として労働に対する誇りを持って働いていたのではないでしょうか。
 昔の姿はあるが現在の姿はありません。部落差別と屠場の関係を正しく正確に説明するのなら、現在どうなっているかという写真が必要です。でないと、写真展を見る人は、昔はこうだった、今もこうなのだという考えや思いや偏見が自然につくられるのではないでしょうか。

(3)「親子で学ぼう!!部落の歴史と現在」を見て
 3地区の太鼓集団が、それぞれの地区を部落としてあれこれ説明をしています。
 太鼓集団の参加者が顔写真とともに、いわゆる部落民宣言をしています。Tさんが「怒のメンバーやから、自分が部落出身であることを伝えているのかもしれん。・・・」太鼓集団「怒」のメンバーだから「部落民」なのか、「部落民」だから「怒」のメンバーなのかは、今ひとつ分かりませんが、部落民宣言をさせてどうするつもりでしょうか。なにを根拠に自分を「部落民」であるとか、ないとか決めるのでしょうか。法的にも何も根拠のない今日で、部落民宣言させるような太鼓集団は、部落問題の解決を目指す集団とは言えないのではないでしょうか。
 皮革業に対する差別意識の独断的な決めつけも見られます。Nさんが「みんなが差別してきた皮革業でここまでできるんや!・・・」これも何を根拠にしているのでしょうか。昔話として、皮革業に対して差別意識はあったというのならともかく、現在も差別意識があるかのごとく決めつけを行うのは、これもまた部落問題の解決にはならないのでないでしょうか。
 部落地名総監は差別だとして、常設展ではその地名総監を展示しています。ところが、大阪市人権協会などは、その記念誌で空撮写真入りで○○地区は部落だとして解説までしていました。企画展でも、同様な展示がなされています。
 太鼓集団「怒」のふるさとは大阪市のN地区として、古地図を展示しています。太鼓集団「獅子」の故郷は大阪市A地区として、空撮写真入りで四方を囲まれた地区として、視覚的にもよく分かるように、どこからどこまで部落だと言うことがはっきりと展示がされています。太鼓集団「魁」の故郷は大東市H地区として、古地図の展示、祭りの展示などがなされ、第2地区と呼ばれるところが部落だという説明がされています。いずれの地区の仕事として、円グラフで解説されている例は1918年の大阪府救済課資料です。93年前の仕事の資料展示はされていても、現在の仕事の資料展示はされていません。今もそのような仕事に従事しているかのごとき誤解をあたえるのではないでしょうか。93年前の仕事として示されている、「再生資源の行商」や「はきもの行商」とは、どのようなものか子どもには分からないでしょう。
 さらに羽曳野市のM地区に関しては古地図の展示、和泉市のS地区に関しては、S地区の寺院の写真が展示されています。
 部落地名総監の実例を詳しく展示して、はたして部落解放になるのでしょうか。人権博物館や行政や、部落解放同盟関係団体などが、○○地区は部落だと言うのは差別ではなくて、民間、会社、市民が○○地区は部落だと言うのは差別とされているのではないでしょうか。行政も,民間もだめなものはだめで、いいものはいいのでは、ないでしょうか。