朝日訴訟とは

結核のため国立岡山療養所で療養中の朝日茂さん(1913 〜1964)が、月 600円の生活保護費では憲法第25条の「健康で文化的な最低限度の生活」を維持することはできないとして、 1957(昭和32)年 8月、国を相手におこした訴訟で、「人間裁判」ともよばれてた。この訴訟は、国民の生存権の保障をめぐって争われた最初の行政訴訟である。 1審判決(1960年10月19日〉では勝訴したが、 2審判決 1963年11月4日〉では敗訴、最高裁に上告した。朝日茂の死亡後は養子夫妻が訴訟を継続したが、最高裁は朝日茂の死亡を理由に、 1967(昭和42)年 5月24日一方的に裁判をうちきり、憲法第25条の規定は「園の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民にたいし、具体的権利を賦与したものではない」とし、生活保護基準も違法ではないと上告を棄却、みずから憲法をふみにじる判断を示した。しかし、この裁判闘争を通じて生活保護費のアップを勝ち取るなど、国民の生存権に対する国民意識を向上させたことは重要である。