語りとは

部落民」が自らの育ってきた過去の歴史〈生いたち〉を話すことにより、差別されても泣き寝いりしていた「部落民」から、差別を告発し差別とたたかう「部落民」へと立ちあがるようになるとともに、部落外にあってそれを聞く側は、自らが意識するとしないとにかかわらず、それまで差別する側にあったことを反省し、ともに差別をなくすために立ちあがっていくようになる主張である。こうしたねらいのもとに運動化されてきたものを通称「語り」とよんでいる。 「語り」は、もともと「つづり方教育」にヒントをえて、「部落民」としての自覚を高め、「解放の戦士」をつくるため、兵庫における高校生の部落問題研究会活動の中ですすめられ、それが全国へと広がっていった。全国同和教育研究協議会〈全同教〉の大会でも、一時、生徒の自主活動のレポートの主流を占める勢いを示すほどになった。 「部落民」として差別されてきた「怒り」を組織しようとする方法は、部落住民と部落外住民とを対立的にとらえる傾向におちいりやすい危険性をもつ。とくに「語り」は、全国的に部落解放運動が分裂する中で、部落排外主義的な流れと結びついてすすめられてきたため、多くの誤った実践を生んできた。たとえば、行政への要求交渉の中でも、よくこの「語り」がつかわれ、差別する側とされる側の違いを強調することにより要求実現をせまっていったり、教育の現場でも、教師への告発の手段として、教師糾弾の最大の武器として悪用されてきた。