差別とは

人間としてすべての人に平等に保障されなければならない基本的人議が不当に制限されたり奪われたりすることをいう。日本国憲法にも、この基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」として、すべての国民にこれを保障している。ところが現実には、旧「賎民」身分の出身であるという理由で、結婚を拒否されたり、女性であるという理由で結婚定年制によって首を切られたり、朝鮮人であるという理由で就職をことわられたりしており、身分による差別、性による差別、人種や民族による差別、学歴による差別、さらには思想・信条による差別などさまざまな差別が存在している。
これらのさまざまな差別のうち基本的、根源的な差別は、階級差別、つまり生産手段の所有・非所有にもとづく差別であって、その他の差別はすべて、階級差別を維持し補強するためにあとから作りだされた副次的な差別である。差別はつねに、少数の支配階級が多数の国民大衆の統一・団結をさまたげるとともに、その労働の成果をより多く、より効果的にとりあげるための分裂支配の手段として、支配階級によって作りだされるのである。
たとえば現代日本の独占資本は、雇用形態(常雇、日雇、臨時雇、パートなど〉、企業規模、職種、学歴、性別、さらには思想・信条の差異など、さまざまな差異をくみあわせて、労働者をいくつもの階層に分断すると同時に、階層のちがいに応じて劣悪かつ差別的な賃金や労働条件を押しつけている。しかも、差別が支配階級によって作りだされる場合には、現実に存在する自然的差異(人種、性別など〉や社会的差異(職種、学歴など〉が利用されるだけでなく、差別を合理化し正当化するために架空の差異がねつ造されることさえある。
したがって差別は、もともと人聞に差別観や優越感があるから生じたのでもなければ、また差別される人びとの側に何らかの責任があって生じたものでもない。ところが、差別は実際には、人間の行為として、人間と人間との関係としてあらわれるので、あたかも責任は差別し差別される国民大衆のなかにあるかのようにみえる。まさに、そのように思わせて国民を分裂させることが、差別を作りだした支配階級のねらいなのである。