私家版中学校公民教科書 「部落差別問題(同和問題)」

 私家版中学校公民教科書 「部落差別問題(同和問題)」


*差別とは

 差別とは、人間としてすべての人に平等に保障されなければならない基本的人権が制限されたり奪われたりすることをいいます。
 日本国憲法は、この基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」として、すべての国民にこれを保障しています。基本的人権には、平等権、自由権社会権基本的人権を守る権利があります。
 平等権とは、国民は平等にあつかわれることを保障されていることです。
 自由権は、国家権力(役所や警察や自衛隊など)によって個人の自由が侵されない権利のことです。
 社会権とは、すべての国民が人間らしく生活できることです。
 そして、基本的人権の保障とともに、国民もそれらの権利を守る権利があります。
 しかし、平等権だけを考えても、実際には?ということがたくさんあります。例えば、そうはいっても、雇用の場での男女差別を禁止した男女雇用機会均等法ができたのは憲法制定から40年近くたった1985年でした。それが改正されて「男子のみ募集」とかが原則禁止になったのは1999年でした。
 ハンセン病の患者たちが、不合理に差別されていた「らい予防法」が廃止されたのは、1996年でした。それまではほとんど感染から発病の可能性がないハンセン病の患者は、隔離されて文句が言えないという不平等な状態にありました。
 また、会社や役所では、正規雇用、非正規雇用(日雇、臨時雇、パートなど〉、学歴、さらには思想・信条のちがいなど、さまざまなちがいをくみあわせて、働く人に劣悪な環境や、差別的な賃金や労働条件を押しつけていることもあります。他にも、不合理な差別を受けている人びとはたくさんいます。憲法で人権が保障されていても、それがしっかり守られているかどうか、われわれ国民はつねに注視していかなければなりません。
 差別は、もともと人聞に差別する考えや,気持ちや優越感があるから生じたのでもなければ、また差別される人びとの側に何らかの理由があって生じたものではありません。ところが、目に見える差別は、人間が言ったり、したりしたことにあらわれるので、あたかも責任は差別し差別される国民のなかにあるかのようにみえるので注意が必要です。

*部落差別のおこり

江戸時代は、身分の秩序をもとに成り立っていました。支配身分としては、将軍をはじめとする武士がありました。行政、裁判、軍事などを担当していました。天皇家や公家なども支配身分でした。
 被支配身分としては、農業を中心に林業・漁業をおこなう百姓(主に村に住む人)、大工や鍛冶などの手工業者である職人、商業を営む商人を中心とする町人(主に都市に住む人)、などがいました。
 このほかの被支配身分として、宗教者、芸能者など職業や居所によって区別される人もいました。さらに、下の身分におかれたのが賤民(かわた、非人等)でした。かわたは、百姓と同じように村をつくり、農業をおこない、皮革、細工物などをつくりました。死牛馬の処理や清掃業、罪人の取り締まりの手伝いなどを行いました。非人は、貧困や刑罰などによって非人とされる事が多く、奉行所などの下働きや村や町の番人、乞食、芸能などを行いました。賤民は居住地や衣服・髪型などで他の被支配身分とは区別され、賤視の対象とされました。


*部落差別の解決

1869年明治政府は、江戸時代の身分秩序を廃止しました。そして、天皇の一族を皇族、公家と大名などを華族、武士を士族としました。
 百姓と町人は平民とし、華族・士族との結婚や,移住、職業選択の制限が廃止されました。全ての国民は名字(姓)を名のることができるようになりました。
 1871年には、賤民とされていた人々を賤称廃止令(解放令)によって平民としました。
 1872年には、華族・士族・平民という新たな身分(族籍)にもとづく戸籍がつくられ完全な四民平等にはなりませんでした。
 その後の明治政府の政策により、農村では地主と小作人、都市では独占資本家(財閥)と労働者がつくりだされ、貧富の差が拡大しました。
 こうして、なかば封建的な世の中となったため、旧賤民の人々は、旧身分による賤視が続き、十分な教育の機会が保障されず、自由な職業選択ができず、就職の差別、結婚の差別などが続きました
 1946年、日本国憲法が公布され基本的人権が保障されました。小作人に農地が解放され,財閥も解体されました。
 しかし、旧賤民の人々の居住地の生活環境は改善されず、就職、教育、結婚などで差別が続いていました。このため部落差別をなくせという国民の要求に応えて1965年に、部落差別を解決することは国の責務であるという同和対策審議会答申(資料1)が出されました。そして、対象地域に住む人々の生活環境に改善を図るため1969年同和対策事業特別措置法がつくられ法律的・財政的な措置を行い大きな成果を上げました。
 2002年に中心的課題である就職と教育の機会均等が保障され、生活改善がなされ、これ以上の施策を続けうることは差別の解消にならないと理由で、国は特別措置法を終了させました。(資料2)
 

*資料1、同和問題の解決された状態とは、同対審答申に書かれています。


 1965年に出された同和対策審議会答申で明確に示されています。答申第1部「同和問題の認識 1同和問題の本質」で、このようにまとめられています。
「・・・同和問題もまた、すべての社会事象がそうであるように、人間社会の歴史的発展の一定の段階において発生し、成長し、消滅する歴史的現象にほかならない。したがって、いかなる時代がこようと、どのように社会が変化しようと、同和問題が解決することは永久にありえないと考えるのは妥当でない。・・・」必ず解決するものだと明言されています。
「・・・すなわち、近代社会における部落差別とは、ひとくちにいえば、市民的権利、自由の侵害にほかならない。市民的権利、自由とは、職業選択の自由、教育の機会均等を保障される権利、居住及び移転の自由、結婚の自由などであり、これらの権利と自由が同和地区住民にたいしては完全に保障されていないことが差別なのである。これらの市民的権利と自由のうち、職業選択の自由、すなわち就業の機会均等が完全に保障されていないことが特に重大である。なぜなら、歴史をかえりみても、同和地区住民がその時代における主要産業の生産過程から疎外され、賎業とされる雑業に従事していたことが社会的地位の上昇と解放への道を阻む要因となったのであり、このことは現代社会においても変わらないからである。したがって、同和地区住民に就職と教育の機会均等を完全に保障し、同和地区に滞留する停滞的過剰人口を近代的な主要産業の生産過程に導入することにより生活の安定と地位の向上をはかることが、同和問題解決の中心的課題である。
 以上の解明によって、部落差別は単なる観念の亡霊ではなく現実の社会に実在することが理解されるであろう。いかなる同和対策も、以上のような問題の認識に立脚しないかぎり、同和問題の根本的解決を実現することはもちろん、個々の行政施策の部分的効果を十分にあげることをも期待しがたいであろう。」


*資料2,同和対策事業が終了した理由

  「今後の同和行政について」
平成13年1月26日
総務省大臣官房地域改善対策室
 2001年1月26日、総務省自治行政局主催全国都道府県企画担当課長会議の新年度予算についての説明会での資料配付(なお2000年10月30日旧総務省地域改善室の全国都道府県域改善主担会議も同趣旨の報告)

1.特別対策の終了

 平成9年の「地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律」(地対財特法)の改正(平成9年経過措置法)により、同和地区(対象地域)・同和関係者に対象を限定して実施してきた特別対策は、基本的には終了し、着手済みの物的事業等一部の事業についぞ平成13年度までの経過的措置として実施。
 平成13年度末(平成14年3月31日)に地対財特法の有効期限が到来することにより、特別対策の法令上の根拠がなくなることから、平成14年度以降同和地区の施策ニーズに対しては、他の地域と同様に、地域の状況や事業の必要性の的確な把握に努めた上で、所要の一般対策を講じていくことによって対応。
(注)一般対策とは
同和地区・同和関係者に対象を限定しない通常の施策のこと

〈特別対策を終了し一般対策に移行する主な理由〉

(1)特別対策は、本来時限的なもの
 これまでの膨大な事業の実施によって同和地区を取り巻く状況は大きく変化。
(2)特別対策をなお続けていくことは、差別解消に必ずしも有効ではない。
(3)人口移動が激しい状況の中で、同和地区・同和関係者に対象を限定した施策を続けることは実務上困難。

2.地方単独事業の見直し

 地対財持法の有効期限到来という同和行政の大きな転換期にあたり、地方単独事業の更なる見直しが強く望まれる。