大逆事件とは

 明治天皇暗殺計画という虚構の理由で、多数の社会主義者が逮捕・処刑された事件。
1908(明治41)年の赤旗事件前後から政府の社会主義運動への弾圧が強化され、幸徳秋水を指導者とする無政府主義派を刺激した。
1910 (明治43)年 5月、宮下太吉が爆裂弾を製造・所持していたことが発覚すると、これを機に政府は、翌月から全国の社会主義者数百名を検挙した。うち 26名を天皇暗殺未遂の大逆罪で起訴、 12月から翌年 1月にかけて大審院特別法廷で非公開の裁判をおこない、 1月18日幸徳以下死刑24名、有期刑2名の判決をくだした。のち12名が無期に減刑されたが、 12名は世界的な抗議を無視して処刑された。このうち死刑の大石誠之助、無期の高木顕明はともに和歌山県新宮の出身で、部落問題に深い関心をよせ、部落問題の解決のために尽力し住民の信頼を得ていた。