羽曳野市津田市長強要事件とは

1973 (昭和48)年 4月23日におこなわれた大阪府羽曳野市長選挙で「公正・民主的な同和行政事」を公約して当選した津田一朗市長に対し、市議会に圧力をかけるなど「窓口一本化」の継続を強要していた「解同大阪府連が、 12月に完成予定の公営住宅への入居者決定の一任を要求して、 11月20日ごろから数十人を動員して市役所におしかけ、市長との面会を強要していたが、 12月3日、「解同」の代表 6名と市長の「話し合し会い」の席上、約束の時聞がきたのでー市長が会談を打ち切り室外に出ようとしたところ、待機していた同盟員数十名が乱入、午後8時すぎ市長が病院にはこばれるまで監禁した事件。 r解同大阪府連は、その後も市役所を不法占拠するなどの蛮行をくりかえしたが、これに対し解放同盟正常化連事や「革新羽曳野市政をすすめる会」などを中心に多くの市民が立ちあがるなかで、津田市長も「解同大阪府連の暴力に屈することなく、問題の真相を市民に訴えるとともに、翌日(昭和49)年 1月7日から公約どおり公営住宅入居の受付けを開始、さまざまな妨害を排して、 11月末に入居者を公正に決定、 12月14日に多くの世帯が入居を完了した。なお、「解同大阪府連から大阪地裁に提訴されていた「窓口一本化」要求仮処分も、 12月10日、「行政側に窓口一本化の義務はない」として却下された。