部落民宣言とは

 狭山事件を「差別裁判」として闘争をすすめてきた部落解放同盟が、「石川一雄被告の不当逮捕13年目」に抗議して1976(昭和51)年5月22日におこなった全国一斉の同盟休校闘争でとった戦術が始まりであり、小・中・高校の部落解放同盟関係者の児童・生徒に「自分は部落民です」と級友の前で宣言させることによって、差別と闘い・差別に負けない・差別を許さない人聞に皆んなが成長することを目ざしているといわれた。
 しかしこの部落民宣言に対しては、「子どもたちの心情をふみにじり、子ども同志の対立をあおる部落排外主義の行為である」「子どもを運動の手足に利用するものである」「学校教育に対する介入である」「宣言させても本人や周囲の児童・生徒が理解できるかどうか疑わしい」などという批判が内外から強く出された。大阪においては、府教委、地教委が容認する姿勢をとったことにより、立場宣言という名称に変えて今でも行われている。「母子家庭で育った」「在日朝鮮人である」というような立場を生徒集会などで発表させて、自覚と誇りを持たせることが大切であるという主張である。