労農水の三角同盟とは

 徹底的差別糾弾闘争事の行きづまりからくる組織的混乱を克服するため、全国水平社青年同盟は1925 (大正14)年 5月、大阪市中之島公会堂でひらかれた全国水平社事第 4回大会に「われら特殊部義民に対する感情も・….(中略〉…わが国資本主義の封建的性質に支持されたものである」として、差別の本質が単に個人の差別観念にあるのではないことを明らかにし、「個々の差別事象に対する闘争から全般的闘争に移ること、差別を支持する組織に対して対抗していくこと」を主張し「従って又政治的の戦線へ、即ち無産階級の政治運動に進出せずしては真実の解放を得ることは出来ぬ」と、大会宣言草案という形式で、階級的な立場にたって労働者・農民と提携し、運動を政治的に展開していく運動方針を提起した。この草案は純水平運動を主張する右派やアナーキストの反対で委員会付託となったあと廃案となった。
 第3回大会以後、各地で労働組合や農民組合に加盟する住民がふえ、小作争議や労働争議、差別糾弾闘争で、地域内外の農民や労働者が、同じ階級的な立場に立って連帯して闘い、支援しあっていた状態が生まれた。この水平社と労働者と農民の共同闘争の組織は「労農水の三角同盟」と呼ばれた。