全日本同和会とは

「同和事業10ヶ年計画」の実施と「同和対策審議会」の設置に際し、部落解放同盟に対抗する融和団体の育成を意図した政府・自民党の働きかけのもとに、柳井政雄(山口)、杉本信雄(兵庫)、森岡信太(高知)、土岡喜代一(広島)、岡本弥智夫〈和歌山〉、山本政夫(東京)、岸岡一義(徳島)らによって、「同和問題の完全な解決を図ると共に、民主主義社会の建設に寄与することを目的と」して1960(昭和35)年 5月10日に結成された運動団体でる。
堀木鎌三、灘尾弘吉、秋田大助ら自民党の国会議員が顧問として名をつらねていた。結成大会で採択された「綱領」など によると、「左右の階級的独裁を排し、国民を分裂・抗争に導くような『階級闘争』はとらない」とされ、この問題の抜本的解決のためには、政府の「同和事業10ヶ年計画」を「積極的に支持し、さらに内容を充実し、その完遂を期して強力に推進する」ことによって、「部落大衆の自覚を高め、社会的・経済的地位の向上を期す」るとともに、「社会一般の差別的偏見を打破し、一切の差別事象を根絶」することが必要であると主張されていた。全日本同和会は、部落の保守層を基盤とする運動団体として一定の役割をはたしてきたが、同和行政を私物化し利権あさりの対象とする運動団体になりはてた。その後、利権配分をめぐり、全日本自由同和会に分裂して,今日に至る。