寄生地主制とは

戦前の日本の地主・小作関係に基礎をおく半封建的土地所有形態。寄生地主とは、広大な農地を所有しながら、自らは耕作せず、もっぱらその土地を小作人に貸しつけ、高率の現物小作料をとりたて生活する者をいう。
歴史的には徳川中期より発生、明治維新により領主的土地所有が廃止され、地租改正により「百姓持地」を土地所有と法定したことから、土地の売買が自由となり、地主・小作関係が急速に発展した。
1887(明治20)年には、全国耕地の39.4%(昭和恐慌期で48%と戦前のピークに達す)が小作地化し、全農家戸数の67%が地主的土地所有のもとにおかれた。このような地主制の確立に対応して、 1890(明治23)年には 365万町歩に及ぶ皇室御料が一挙に設定され、三井・三菱・住友などの財閥による大規模な土地集積もすすみ、寄生地主制は、戦前における天皇制支配の体制を支える重要な支柱となっていった。
政府は、地主に対しては、高率の現物小作料をとることを保障しながら、小作人の耕作権は保護しなかった。そのため小作人は地主に半封建的に隷属させられ、戦前を通じて、小作料の減免を求める小作争議がひん発した。こうした戦前の半封建的寄生地主制の下で、農村は、低賃金労働者や兵士の供給源となり、これを基礎として日本資本主義の資本の蓄積と海外侵略がおこなわれたのである。この寄生地主制が、封建意識を残す要因となり、同和問題の解決を妨げる原因となった。
敗戦とともに、寄生地主制は、農地改革によって基本的に崩壊した。しかし、農地改革が 3反歩以上の小作人にしか土地所有を認めなかったため、零細な小作人が対象からはずされるという不平等な結果が生じた。