福岡連隊事件とは

1926 (大正15)年 1月福岡歩兵第24連隊でおこった差別事件に対し、全国水平社九州連合会・青年同盟福岡県連が中心となり糾弾闘争に立ちあがり、労働組合九州連合会・日本農民組合福岡県連・労農党福岡県連・北九州無産青年団体連盟などの積極的な支援をえて、在郷軍人会・処女会 ・青年団からの脱退や軍隊の宿営拒否、さらに入営拒否決議にまで発展、内外の広範な勤労国民による反軍国主義の大衆闘争として展開された。
 闘争の高揚を恐れた当局は、11月に至って「福岡連隊爆破陰謀事件」をデッチ上げ弾圧、松本治一郎・木村京太郎ら11名に実刑を科した。
1926年前後は、ワシントン軍縮会議以後、軍部に対する批判はかつてない強まりを示していた。水平社も第2回大会以後軍隊内差別に反対する方針を明らかにしていた。こうした情勢を背景に明確な階級意識に支えられた闘争は、日本近代史上の数少ない反軍国主義の闘争であり、長期かつ広範に展開された点でももっとも高く評価される闘争であったといえる。