行政闘争とは

部落解放全国委員会が全国水平社の部落委員会活動にまなび、第7回全国大会(1951)で決定された運動方針にもとづいて闘ったオール・ロマンス事件(1951年)および和歌山県西川県議差別事件(1952年)の経験をとおして確立させた差別行政反対闘争をいう。
それは、従来のように事件中心主義的な差別糾弾闘争にとどまることなく、差別事件をテコとして大衆を決起させ、しかもその過程で闘いのほこ先を「部落解放のための具体的な政策を意識的に放棄することによって差別を温存させているばかりか、逆に差別を拡大再生産させてい」る政府、およびその手先である「地方権力機関」地方自治体に転化させ、「差別事件のあるなしにかかわらず生活そのものが差別をうけているとの観点に立って住民の経済状態・生活環境の改善、向上のためのたえまない闘い」を展開していくというものであった。

この行政闘争の理論と戦術は、
1,劣悪で低位な生活実態こそが差別であり、国民大衆の差別意義はそうした差別的生活実態の反映であることを明らかにしたこと。
2,部落問題を解決していくうえでの行政の責任と役割を明らかにしたこと。
3,住民の生活要求に根ざす闘争を部落解放運動の基本路線として確立したこと。
など、多くの点で解放運動の発展にとってきわめて重要な意義をもつものであった。
しかし同時にこの行政闘争は、
1,現実の闘争では行政の末端である地方自治体に対する要求闘争以上に進展しにくかったこと。
2,行政措置の強化=同和対策費の増額だけで部落問題が解決されるかのような幻想をうみだし、幹部の不正蓄財を許し、物とり主義を生みだす危険性を内包していたこと。
3,部落解放の諸闘争を勤労国民の生活と権利をまもる闘いと結びつけ、民主統一戦線を強化する運動に発展させることが現実には容易でなかったこと。

など、部落解放運動を部落排外主義的な方向にねじまげることを許すような弱点をもっていた。