弾左衛門とは

祖先は摂津池田から出て源頼朝につかえたというが、明らかでない。代々弾左衛門を襲名。徳川家康が江戸を建設する時、皮革の調達と関東賎民身分の総取締りの特権をあたえられたというが、正確には 17世紀後半(慶安の頃〉と考えられている。
長吏頭(エタ頭〉としての支配地は関東 8ヶ国、陸奥、甲斐、伊豆、駿河など 8千軒。賎民身分としては最高の格式と権限をもった。
幕府の御用として皮革・灯心を納め、罪人探索、囚人取扱、公儀旅行等の人足差出しなどの職務にあたる代償として、皮革・灯心の製造販売の独占権、配下の生産者からの収奪権、芸能興業権、裁判処刑権などをあたえられた。
江戸浅草山谷堀外(新町)に 1万4千坪の敷地、 2千6百坪の屋敷をもった。幕末の長州征伐の功として身分を引きあげられ、弾直樹と名のる。
明治政府ができると、陸海軍御用、市政裁判所附として兇徒探索任務を命ぜらる。その後洋式製靴事業をはじめたが、新しくおこってきた資本主義経済に対応できず没落した。