大阪府「人権問題に関する府民意識調査報告書(中川分析編)

大阪府「人権問題に関する府民意識調査報告書(分析編)」2012.3
の問題点の検討

中川喜代子分析結果報告書を検討して

(1)大阪府民を「高」「中」「低」に
 P77に、
『2010年人権問題に関する府民意識調査(以下「本調査」という。)では、人権問題にネガティブな層の分析に焦点を当てることにした。』
と、中川氏は中川氏が考えるネガティブな層を想定すると言っている。ネガティブな層とは、府民の誰のことを指しているいるのか、これが問題だ。
 P79に、(A)人権問題に関する生活態度スコアとして
『「問題あり」との回答に5 点、「どちらかといえば問題あり」に3 点、「どちらかといえば問題なし」に1点、「問題なし」と「分からない・回答なし」に0 点(要するに、様々な人権的問題状況に対する否定的な意見の程度に応じた得点)を与えて、回答者一人一人について合計点を算出すると、最大60点から最少0 点のスコアを各回答者は得ることになる。このスコアは、様々な生活領域で生起する人権的問題に対する回答者の問題意識の敏感さ/強さの程度を示すと考えられるから、「人権問題に関する生活態度スコア」と規定した。
最大60点から最少0 点のスコアを各回答者は得ることになる。27 点以下を「L」グループ、28〜41 点を「M」グループ、42 点以上を「H」グループと、3 グループに分けた。構成比は、「L」グループ:23.7%、「M」グループ:48.9%、「H」グループ:27.4%となっている。』
とあり、(B)差別や差別の解決に関する態度・意識スコアとして
『「そう思わない」との回答に5点、「どちらかといえばそう思わない」に3 点、「どちらかといえばそう思う」に1 点、「そう思う」と「分からない・回答なし」に0 点(要するに、差別や差別に関わる問題の解決に積極的な意見に対する肯定的・積極的な態度・意識の程度に応じた得点)を与えて、回答者一人一人について合計点を算出すると、最大60 点から最少0 点のスコアを各回答者は得ることになる。
21 点以下を「L」グループ、22〜35 点を「M」グループ、36 点以上を「H」グループ」と、3グループに分けた。構成比は、「L」グループ:26.5%、「M」グループ:47.1%、「H」グループ:26.5%となっている。』
というふうに、アンケートをテストと考えて、府民一人一人を採点し、満点から0点までの○つけを行い、大阪府民を「アンケートというテストに対して良い得点をとる府民」「並の得点をとる府民」「まともな得点をとれない府民」に分類している。中川氏の言うネガティブな層というのは、誰をさしているのかと言えば、アンケートに正直に自分の考えを書いた結果、実はアンケートではなくてテストされ悪い得点を与えられた「できの悪い府民」のことである。
 しかも、「分からない・回答なし」がなぜ0点なのか。アンケートで、よくよく考えても質問が難しすぎて「分からない」「回答なし」というのは普通にあることである。中川氏は、「分からない」「回答なし」という府民は「低」グループでネガティブな層であり、「できの悪い府民」というわけだ。
 なぜ、21点を取った府民は「低」グループ府民で、22点を取った府民は「中」グループ府民なのか、その理由を答えていただきたいものだ。

(2)いい加減極まりないそのまとめ

 以下、恣意的な数値化による分析が続くが、恣意的な数値化による分析が妥当かどうかはなはだ疑問である。というわけで、中川氏のまとめの部分だけを取り上げて検討を行う。
 P112に、
『分析に当たって、(A)人権問題に関する生活態度、(B)差別や差別の解決に関する態度・意識の2つのスケールを作成したが、両者の間には必ずしも強い相関関係がない、つまり、同じ「H」グループであっても、スケールが違えば同じ設問に同じような反応を示すわけではないという結果となった。大阪府民の人権意識、人権感覚がそれほどきちんと「腰が据わった」ものではなく、建前で回答する傾向にあり、しかも人権問題に関する意識・関心が高いと思われるグループでさえもそのレベルに留まっている、というのが、この調査で筆者が改めて実感したところである。』
とあるが、よく言うね、というのが実感だ。テストの回答で高得点をとった「高」グループ府民は、建前の回答をして高得点をとっているが、本音は違うことを考えているというわけだ。本音と建て前は違うと中川氏は言いたいわけだが、アンケート自体が建前を回答させるものであり、ええ加減な数値化を行いましたよと、中川氏は自白しているわけだ。
 同じくP112に、
『最後に、今後の人権教育、人権啓発の課題として考えることを何点か述べておく。・・・・同和問題については、建前と実際の行動とが必ずしも相関しないものの、認識はかなり定着したと思うが、その他の人権問題、毎日の生活の中で自分に直接関わるような、もっと身近な様々な人権問題について、必ずしも正しい認識を持っている人は多くない。筆者の経験でも、子どものニート、引きこもり、虐待のような身近な問題をテーマに講演を行うと非常に反応が鋭い。そういうものを人権啓発の内容にもっときちんと取り込んでいくことにより、自ら真剣に人権というものを学習しようという人が増えてくるであろう。』
とあるが、中川氏はかなり言葉を濁しながらも、同和問題を取り上げていくより身近な様々な人権問題を取り上げたらはもう取り上げなくてもよいと言っている。
 同じくP112に、
『各地で行われる地方公共団体の職員の意識調査でも、40歳代後半以上の人は同和問題などに対して比較的正しく反応するが、40 歳代前半以下の若年層については、同和問題についての知識自体が不十分な傾向が指摘されている。これを「断層」と考えると、教員あるいは教員志望者に対する人権教育についても「断層」があり、教員自身の人権問題に対する認識や態度についてもかなり“鈍感”になっているのではないかと感じている。ヨーロッパでは、義務教育段階で人権についてきちんと学習させるという基本的方針のもとに系統的・継続的に取り組んでいるが、わが国においてもこのような視点で人権教育を見直すことが必要なのではないかと思う。』
中川氏のこの部分をどう読むかだが、同和問題に関して、「断層」「鈍感」という中川氏は表現しているが、時代が大きく変化し「同和問題」を意識しないような時代や社会になってきていることを中川氏も認めざるを得ないと言うことだろう。
 ところが、P113で、
『こどもの虐待をはじめ、DV や家庭内暴力、ひきこもり・登校拒否、シルバーハラスメントや孤独死など、私たちの周りに多発しているさまざまな社会病理的現象が地域住民のネットワークによって未然に発見され、適切な対応がなされる地域社会、人びとの相互扶助のネットワークによって真に人権が尊重されるコミュニティづくりのモデルを、まず同和地区を核とする、より広域的な地域の人びとによる積極的な交流から創造・構築し、発信してほしいと願っている。なぜなら、部落には差別撤廃への長年の取組みによって培われたつながりと蓄積されたノウハウがあり、他方、これを取り巻く地域の人びとには、人権学習によって人権文化が息づくコミュニティづくりの仕掛け人にふさわしい知識・態度・スキルの体得が期待されるからである。
人権文化溢れるコミュニティづくりという目標に向かって、地区内外を問わず、人びとがなんのこだわりもなく心を開き、ともに汗を流して協働することが、問題解決への大切な一歩だと考えている。』
やはり中川氏らしいまとめ方である。無理矢理同和問題と他の人権諸問題を結びつけ、いつまでも同和地区、同和地区と言いたい中川氏の心情が吐露されているまとめである。まず同和地区を核とするというような発想をしているかぎり、同和問題の解決はないことに気づいていないのだ。