大阪府「人権問題に関する府民意識調査報告書(西田分析編)」

大阪府「人権問題に関する府民意識調査報告書(分析編)」2012.3
西田芳正分析結果報告書を検討して

 P115に、自由記述欄分析のねらいと手順が書かれている。
『見えにくい形で、また、同和地区を取り巻く状況の変化によって姿を変えて、同和地区とその住民を特別視し、否定的な意味合いを込めて捉える意識や振る舞いが一部の人々に見られるという実態があることが今回の意識調査の結果からも明らかである。』
ここに、西田氏の立場が明確に書かれている。自由記述でようもこんなことを自由に書きやがってけしからん、こんなことを自由に書くような府民は許さないぞという立場、視点から自由記述を検討するというわけだ。客観的に自由記述を見るのではないですよというわけだ。
 P116に、
『自由記述欄に何らかの書き込みをした方は合わせて265 人で、有効回答者903 人中の3 割弱にあたる。性別、年齢ともに全体と同様の分布であった。『
とあるが、3人に1人の割合で意見が書かれているわけだ。わざわざ意見を書くような府民は意識・関心の高い府民であるという認識が必要だが、何も書いてこない府民は意識の高い府民で、大阪府に対して否定的な意見を言う府民は意識の低い府民と、西田氏は思っているようだ。
 P117に、「逆差別」意識の構造と背景と題して、265 ケースの記述の中で多く用いられた言葉の一つが「逆差別」だと言っている。
『これらの「逆差別」という言葉の用法からは、同和地区とその住民に対する特別な優遇がなされ、それを行ってきた行政の対応と、対策を要求してきた地区住民の姿勢と生活がともに問題とされ、さらには同和地区以外の住民の方が逆に差別されているという意識を抱いていることを読み取ることができる。
特別措置としての同和対策事業は終了し、残された課題について一般施策を活用した取組みをしてきたのであり、「同和地区への優遇」や「行政による特別扱い」が今日なお継続しているという認識は誤解、ということになるのだが、その誤解の内容と誤解が広がっている背景について詳細に検討することが必要である。』
府民は誤解しており、府民の認識が誤っているという主張である。「同和地区への優遇」や「行政による特別扱い」が今日なお継続しているから「逆差別」意識が出てくるという立場にはたちませんというわけだ。実態や事実があるから意識が出てくるのである。
 指摘されている事例として、『同和対策事業で建設された施設の立派さ、家賃や税金などでの有利な扱い等が具体的な優遇の事例』、『「えせ同和行為は許せない」との記述』、『「同和」という言葉が使われ続けていることも問題だ、という認識』、『部落差別は昔のこと』、『優遇をなくせば、同和対策をなくせば差別はなくなる』、『直接の体験・見聞』などなど、多数西田氏はあげている。
 それらに対して、P126で、
『過去になされていた同和対策に関する知見を元に、今もそれが引き続き行われているという認識となっていることも考えられ、この点は、同和問題の解決に向けた施策の現状を正確に伝える啓発の課題ということができる。』
というように、西田氏は府民にある誤った認識は、過去の同和対策事業のあれこれについて忘れてないからだ。しかし部落差別は今もあることは忘れてはいけない。同和問題の解決に向けた施策は今もやっているし良いことで、文句を言うな。あれこれと、大阪府のやることに文句を言う言うような府民が出てこないような啓発をもっとやれと言っている。手を変え品を変え同和施策を引き続きやりなさいと西田氏はまとめているのである。
 P129で、西田氏は
『結局のところ自分自身の生活の支えを掘り崩してしまうという意味で「底辺への競争」と呼ぶ研究者もいる。「同和利権」を非難する意識傾向も含め、こうした側面について十分踏まえた上で、その認識のあり様を捉え直してもらう働きかけが求められる。』
と述べているが、橋下・維新の会による「底辺への競争」が激化する中で、「底辺への競争」への批判は当然強めるべきである。それと「同和利権」への批判を混同させるのは、的外れと言わざるを得ない。どうやら西田氏は「同和利権」批判することは、「底辺への競争」を激化させるからやめましょうと言いたいようだ。
 P141に、「納得と共感」を目指して、5-1 逆差別意識の構造、というのがある。
『それでは、本章の最後に、「逆差別」意識の構造を改めて整理し、今後の教育、啓発活動において何が伝えられる必要があるのかについて検討したい。
「逆差別」意識を構成するポイントの一つとして「もう差別は解消した」という認識があることを見たが、現実にはそうとは言えないことをまず指摘しなければならない。確かに、以前と比べて同和地区とその住民に対する露骨な差別的言動は姿を消しつつあるが、差別意識は根強く残っていることもまた認めざるを得ない事実である。「逆差別」意識について検討する際、こうした現実を踏まえておかねばならない。』
とある。「差別意識は薄まってきていて部落差別は解消しつつある」と認識するのか、「差別意識は根強くのこっていて部落差別は解消しつつあるというのは間違いだ」と認識するのか、ということが今こそ問われている。西田氏の認識は明らかに後者。「部落差別意識」が残っているかぎりと言う主張だが、意識をなくさなければという限り、いきつくところの解決法は「部落差別意識」をなくすような啓蒙宣伝活動という徹底的な洗脳教育しかなくなるのである。西田氏の解決法は「洗脳教育」しかないということになりかねないのである。
 P142に、
『過去から継承された差別意識の残存についても指摘しておくべきだろう。自由記述欄の内容からはうかがうことはできないが、同和地区に対する忌避意識の背景には、こうした側面も存在しているはずである。』
自由記述欄の内容からはうかがうことができないと言っておいて、忌避意識云々という結論を導き出しているのは、いかにも強引で恣意的な結論の導き出し方と言わざるを得ない。「うかがうことはできないが、はずである」という論法は、事実ではないよ、推論で結論をだすというわけだ。
 P143に、5-2 納得と共感を目指して、と題して
『まず、多くの「逆差別」意識の素地となっている特別措置としての同和対策事業については、何よりもその実像が知られていないことがそうした意識をもたらす大きな要因となっている。高度経済成長が進展する中でも劣悪な生活実態のままに取り残され、周囲からの厳しい差別を受け続けていた同和地区の実態を踏まえ、「同和問題の解決が国民的課題」と位置づけられた経緯、行政の責務として住宅、就労、教育などの分野で多くの取組みがなされ、大きな成果をあげたこと、そして、法期限切れを迎え「特別措置」が終了した後、今日では何が行われているのか、これらの点についての情報発信が求められる。例えば、同和地区内に建設された施設について、現在では対象を限定することなく、多くの人々が利用する重要な社会的資源として機能している実態などが理解されれば、「地区だけにあるのは不公平」だとする非難に応えることができるだろう。』
同和対策事業が終了して10年がたつ。なぜ同和対策事業が終了したのか、その理由が意図的に知らされていないのがそもそも問題なのである。国は同和問題がほぼ解決の段階に達してこれ以上同和対策事業を進めることが困難になり、又進めることが同和問題の解決にならないと判断したから終了させたのである。この事実を西田氏は隠蔽しているのだ。また諸施設が多くの人々が利用する重要な社会的資源として機能していない実態があることもまた西田氏は見落としているのだ。
 P144に、
『「同和問題、部落差別は既に終わったこと」という認識が広がっている中、今日まだ続いている差別の現実についても伝えられる必要がある。その際、その部分だけが繰り返し伝えられることは逆効果となるだろうが、命をも奪うことにつながる差別の残酷さ、悲惨さについても内容に盛り込むことは重要である。また、差別に反対する取組みの成果として同和問題、部落差別が大きく改善の方向にあることを伝えることで、「何をやっても差別はなくならない」という否定的な印象を避けることができるだろう。運動の担い手の姿、地区外との交流を進めるなどのユニークな取組みが伝えられることで、肯定的、積極的なイメージを広げることも可能である。』
と書いている、残酷さ、悲惨さの差別の現実と改善の方向を同時に啓発せよと言っているわけだが、改善の方向にあるのなら、残酷で悲惨な差別の実態はなくなっているはずでしょう。実態があるなら、改善されていないのでしょう。西田氏は自己矛盾にすら気づいていないのだ。
 同じくP144に、
『「利権」への非難として、弱い立場の者に不安や不満が向けられる傾向にあるが、そうしたメカニズムについて捉え直す契機ともなるはずである。』
とあるが、同和利権というのが、どれだけ同和問題の妨げになったかということいまだに西田氏はご存じないのだ。または、西田氏はどうやら「同和利権」を肯定し擁護する立場のようだ。
 P145に、
同和問題への認識の広がり、社会的な取組みが先行することで他の差別問題、人権課題が取り上げられてきた歴史を踏まえれば、「なぜ同和問題だけが優先されるのか」という認識が持たれていること自体不幸な誤解と言わねばならない。その点についてのメッセージも必要だろう。』
「なぜ同和問題だけが優先されるのか」という認識が持たれていること自体不幸な誤解と結論づけているが、誤解ではなく、そこのけそこのけ同和が通るというのが事実だったことから西田氏は目を背けている。
 P145の最後に
『今回は自由記述の内容を通して一般住民が同和問題について抱いている意識に迫ることを課題としたが、差別的な意識を強く持った人たちの意識と行動について把握し分析することも、今後の教育・啓発活動の内容を考える上では非常に重要な課題となる。・・・・「納得と共感」こそ、同和問題が次世代に引き継がれる流れを断ち切り、他の様々な差別問題、人権課題について理解し乗り越える力を多くの人々に伝えるための鍵となる言葉である。』
というように、西田氏は、「差別する側」「差別される側」というように、差別問題を私人間の問題として結論づけ、解決法を「納得と共感」という名の「心の持ちよう」へと、個人の心理的問題の解決へと結論づけている。