育鵬社版中学校公民教科書「部落差別」記述の誤り

2015年採択の育鵬社版中学校公民教科書の部落問題に関する記述を見たが、現行の記述は相変わらず改善されていない。他の公民教科書の認識とは大いに異なるのだ。育鵬社版中学校公民教科書の誤りを放置する文科省の部落問題に関する認識に問題があるためなのだが。
 教科書69ページに「部落差別は憲法が禁止する門地(家柄・血筋)による差別のひとつに当たります。・・・今日でも結婚などのときの障害になったり、インターネット上に差別的な書きこみが見られるなど、完全に解消されていません。」とある。これは、政府見解とは全く異なる。
 政府の同和対策審議会答申(1965年)によれば、「いわゆる同和問題とは、日本社会の歴史的発展の過程において形成された身分的階層構造に基づく差別により・・」何のことかと言えば、「封建制度の残りかす」なのだ。
 属人の問題(家柄、血筋)であれば、どこに居住しているのかなどは、関係がない。○○さんのご先祖様は○○の家柄、血筋であるから差別されるということである。 政府見解は、属地の問題であるとしている。同和対策審議会答申(1965年)によれば、
「・・その特徴は、多数の国民が社会的現実としての差別があるために一定地域に共同体的集落を形成していることにある。最近この集団的居住地域から離脱して一般地区に混住するものも多くなってきているが、それらの人々もまたその伝統的集落の出身者なるがゆえに陰に陽に身分的差別の扱いをうけている。」
とあるように、属地の問題(共同体的集落、伝統的集落)としている。
 属地とはどの地区のことかと言えば、同和対策審議会答申(1965年)によれば、
「当該地方において、一般に同和地区であると考えられているもの」とあるように、明確な定義ではない。
「一般に考えられている」のなら「一般に考えられなくなったら」同和地区なるものは存在しなくなるということなのだ。
 政府は2002年に同和問題の特別対策を終了させたが、その理由として(総務省の同和行政史49ページ)「1,一般地区と同和地区との格差是正が進み、差別を生む状況ではなくなった。2,これ以上続けると社会的公平を確保できない。3,優遇措置を続けると、新たな差別意識の要因となり、心理的差別の解消にならない。」の3点をあげている。
 育鵬社版は、特別対策の終了を載せずに、いまなお特別対策が続いているとの誤解を与えている。
 結婚差別が克服解消されている現実には触れず、どこの誰が書いたのかもわからないような、インターネットの書きこみ(落書き)を差別の例としてあげるなど、無責任な通説を載せるなどお粗末である。
 文科省は通説がないときは通説が無い旨を明記せよとの新設された検定基準を振り回しているが、育鵬社には、あまあまのダブルスタンダードの検定基準をおこなっているのだ。

「泉南市第6期高齢者保健福祉計画(老人保健福祉計画・介護保険事業計画)」に関して

*39ページからの「4,日常生活圏域の設定」であるが、一言で言えば杜撰きわまりない設定である。例えば、A地区とされている地区であるが、古くから存在している農業集落地と近年新しく開発された大規模住宅地を合わせて一つの地区としている。施策の体系として「自助・互助の地域作りの推進」をあげているが、農業集落地と大規模住宅地では自助・互助の推進の仕方が大きく異なってくる。生活圏域をもっと細かく各区規模に設定して計画をたてるべきである。
*45ページからの「ライフサポートコーディネーター」であるが、ボランティアという名の「非雇用型」「賃金安上がり型」の安上がり支援サービスを狙ったものにすぎない。「安上がり支援サービス」のことを別名「多様なサービス」といい、無資格者、ボランティアなどによる非専門的素人サービスの提供を行うことで現在の要支援サービスの切り捨て削減をすすめるものである。
*89ページからの「(4)低所得者対策の推進」であるが、国費削減額1140億円を当然のごとく受け止めた上での施策である。介護報酬引き下げ(600億円)と、介護保険低所得者軽減の大部分の先送り(540億円)にともなうものだが、540億円といえば、軍事予算のオスプレイの取得(5機分516億円、関連経費95億円)より少ない金額であり、贅沢な軍司用兵器を始末すれば捻出できる額である。泉南市は公費による低所得者保険料軽減を2015年度から当初案通りに実施するように、まず働きかけるべきである。
*110ページからの「6第1号保険者の保険料」に関わる部分であるが、第6期の保険料(月額5544円を予定)の値上げは不必要である。厚生労働省へ2014年度に報告した第5期準備基金残高・繰り入れと財政安定化基金償還試算値を見ると、準備基金取り崩し割合が100%という市町村が府下16市町村あり、保険料の上げ幅を少なくしている。泉南市は57,1%の割合であり、出し惜しみをしている。100%取り崩して値上げをやめるべきである。

泉南市行財政計画案に関して

 泉南市行財政改革計画に関して
                  
*行財政を考える視点とは
 家庭で言えば、収入、支出、資産、借金はどうなっているかの現状把握が的確であるかが、第1の課題です。次に今後どうなるのかという予想が的確かどうかということが第2の課題です。さらに、どういう家庭生活をおくるべきかという哲学が求められます。
 政府は、国債発行を理由に、国民一人あたり***万円の借金があるから大変だと言うが、日本の場合、国債を買っているのは国民であり、政府が国民に対して借金をしている問題である。資産と借金をセットにて論じるべき。泉南市においても、同様である。

行財政改革計画の第三者による検証が必要
 行財政に関わっては、収入、支出、資産、借金の具体的把握に関しては、第3者機関による包括外部監査を行うことが必要です。例えば、収入に関しては、東大阪市では未収金問題(市税をはじめとする各種未収金)に関して東大阪市包括外部監査人西野裕久に依頼してH23年度の報告(どうすればよいかという解決策を含む)を受けていますが、参考になります。支出、資産、借金にかかわることも包括外部監査をおこなっており、解決策もそれなりに妥当なものが提示されいます。(同和行政関連に関しては、極めて妥当)ただ、東大阪市の場合、外部監査と反対の同和行政を行ってきたというのが実態ですが。
 いずれにしても、きちんとした第3者による包括外部監査をさせましょう。

*平成25年度泉南市の事務事業評価の実施状況について
 事務事業評価は第3者機関による検証、包括外部監査を行うべき。身内による検証は手前味噌なものになりがちである。
(歳入)市税の確保が不十分。市営住宅家賃滞納問題。市営住宅駐車場使用料の滞納問題
 某宗教法人からの市税確保の方法の検討。
(事務事業の再編など)
清掃業務、ゴミの収集はすべて清掃課で行う。市役所、公共施設は家庭ゴミ扱いにする。庁内内部の清掃はすべて委託せず自分たちで行う。人権部庁舎、青少年センター、公民館、体育館など全て市職員が自ら行う。
(民間委託など)
公共施設の民間委託などは、基本的に反対。
(人材育成の推進)
人事評価システム並びに人事評価に関しては、内部が行うのでなく、第3者機関を設置して行うべきである。
(サービス向上など)
論議を要するが、教育委員会の指導課は基本的にいらない。指導課は40年前にはなかった。教育内容の管理統制を進めるためにつくられた。教育委員会は教育条件の整備を行うのが主たる仕事である。教員研修は自主研修を保障すればすむ問題であり安上がりである。

*第5次行財政改革実施計画について
 なによりも第3者機関、総括外部監査による検証が必要である。
 自主財源の確保は当たり前であるが、地方交付税が増えていないのをどうするのか。生活保護費をどう抑制するのか。泉南市でできること、できないことは何か。生活保護費などの義務的経費が増大したから教育分野などの経費を抑制せざるを得ないという論理は適切か?
 職員数、職員給与相対的評価が妥当か。職務内容の分析、必要な職種と職員数、絶対的評価に基づく妥当な給与基準とは何かを明示すべき。
 収支見直しに関しても、平成31年度までの収支試算は妥当か、専門家による検証が必要。平成31年度までの財源不足の根拠は妥当か?
 その他歳入確保、「稼ぐ」発想での活用は不適切。市は企業ではない、稼ぐためにあるのではない。未収債券の回収の委託化は、かえって金がかかるのではないか。
 共産党が必要でないと考える事業、補助金は何か、不必要な物、人には金を使うな。
(各経費の見直し)
 敬老事業は、成人の日と同様な事業内容とすべき。敬老の日に全体行事をやればよい。
(市民と行政の役割分担)
 アドプト制度を公園まで拡充する。
(官民連携によるサービス)
 民間委託、民営化には基本的に反対。青少年センターは廃止し、事業は他施設(例えば博物館、図書館など)で行うなど統合する。
(市民サービスの向上)
指導課を入れるのなら、教育に関する各種クレームの処理です。学力向上の教育条件整備が本来の仕事。学力向上の研究実践は学校でやるべき仕事。

泉南市公共施設ファシリティマネジメント推進基本方針に関して
 第3者機関、総括外部監査による検証が必要である。
整理統合できる施設は何か。どのようにすべきかまで調査させる必要性がある。
 青少年センターは不必要。市営住宅は政策空き屋を増やし、必要数に統合する。

泉南市定員管理計画について
第3者機関、総括外部監査による検証が必要である。
府内の類似団体との相対比較は妥当ではない。泉南市としての必要部門と職員数を提示すべきである。単に定員を減員すればよいという問題ではない。

2分で分かる人権学習

*差別とは何かを教える教育
 差別とは、人間としてすべての人に平等に保障されなければならない基本的人権が制限されたり奪われたりすることをいいます。
 日本国憲法は、この基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」として、すべての国民にこれを保障しています。基本的人権には、平等権、自由権社会権基本的人権を守る権利があります。
 平等権とは、国民は平等にあつかわれることを保障されていることです。
 自由権は、国家権力(役所や警察や自衛隊など)によって個人の自由が侵されない権利のことです。
 社会権とは、すべての国民が人間らしく生活できることです。
 そして、基本的人権の保障とともに、国民もそれらの権利を守る権利があります。
 しかし、平等権だけを考えても、実際には?ということがたくさんあります。例えば、そうはいっても、雇用の場での男女差別を禁止した男女雇用機会均等法ができたのは憲法制定から40年近くたった1985年でした。それが改正されて「男子のみ募集」とかが原則禁止になったのは1999年でした。
 ハンセン病の患者たちが、不合理に差別されていた「らい予防法」が廃止されたのは、1996年でした。それまではほとんど感染から発病の可能性がないハンセン病の患者は、隔離されて文句が言えないという不平等な状態にありました。
 また、会社や役所では、正規雇用、非正規雇用(日雇、臨時雇、パートなど〉、学歴、さらには思想・信条のちがいなど、さまざまなちがいをくみあわせて、働く人に劣悪な環境や、差別的な賃金や労働条件を押しつけていることもあります。他にも、不合理な差別を受けている人びとはたくさんいます。憲法で人権が保障されていても、それがしっかり守られているかどうか、われわれ国民はつねに注視していかなければなりません。
 差別は、もともと人聞に差別する考えや,気持ちや優越感があるから生じたのでもなければ、また差別される人びとの側に何らかの理由があって生じたものではありません。ところが、目に見える差別は、人間が言ったり、したりしたことにあらわれるので、あたかも責任は差別し差別される国民のなかにあるかのようにみえるので注意が必要です。

日本国憲法の基本を教えることです
 1946年に公布された日本国憲法は、国民主権基本的人権の尊重、平和主義の3つの考えを柱として日本の進むべき方向を定めています。

基本的人権の尊重を教えることです
 「だれもが生まれたときから持っている、自由で平等に、人間らしく幸せに生きる権利」を日本国憲法は、永久の権利と定め保障しています。
 列記すると、
○健康で文化的な生活を営む権利
○言論や集会の自由の権利
○個人の尊重と法のもと平等
○教育を受ける権利
○居住・移転・職業を選ぶ権利
○生命・身体の自由
○働く権利
○裁判を受ける権利
○信教の自由
○労働者の生活を守る権利
○思想や学問の自由
○選挙する権利、選挙される権利
 などの具体的な事例、事実、現状を教えることです。
子どもの権利条約を教えることです
 1089年に国連総会で採択され、1994年に日本でも批准されました。子どもも一人の人間として、大人と同じように人権が認められていることを教えることです。

*新しい基本的人権も教えることです。
 個人的な生活などのプライバシーが守られる権利、暮らしやすい環境のもとで生活する権利などお新しい人権を教えることです。

葡萄畑の労働者の譬えから

(マタイ20章1−16節)
年間第25主日 2014,9,21
20:1 天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くようなものである。
20:2 彼は労働者たちと、一日一デナリの約束をして、彼らをぶどう園に送った。
20:3 それから九時ごろに出て行って、他の人々が市場で働かずに立っているのを見た。
20:4 そして、その人たちに言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当な賃銀を払うから』。
20:5 そこで、彼らは出かけて行った。主人はまた、十二時ごろと三時ごろとに出て行って、同じようにした。
20:6 五時ごろまた出て行くと、まだ立っている人々を見たので、彼らに言った、『なぜ、何もしないで、一日中ここに立っていたのか』。
20:7 彼らが『だれもわたしたちを雇ってくれませんから』と答えたので、その人々に言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい』。
20:8 さて、夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った、『労働者たちを呼びなさい。そして、最後にきた人々からはじめて順々に最初にきた人々にわたるように、賃銀を払ってやりなさい』。
20:9 そこで、五時ごろに雇われた人々がきて、それぞれ一デナリずつもらった。
20:10 ところが、最初の人々がきて、もっと多くもらえるだろうと思っていたのに、彼らも一デナリずつもらっただけであった。
20:11 もらったとき、家の主人にむかって不平をもらして
20:12 言った、『この最後の者たちは一時間しか働かなかったのに、あなたは一日じゅう、労苦と暑さを辛抱したわたしたちと同じ扱いをなさいました』。
20:13 そこで彼はそのひとりに答えて言った、『友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。
20:14 自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。
20:15 自分の物を自分がしたいようにするのは、許されないのか。それともわたしが善いので、あなたの目が悪くなっているのか』。
20:16 このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」。
 有名な譬えである。イエスが語った譬え話の白眉といえるものだ。葡萄の収穫時には大勢の日雇い労働者が必要とされる。当時の労働者の1日分の賃金は1デナリだったかどうかは分からないが、それくらいあれば大満足だというのが1デナリだろう。
「あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」というのはマタイが譬えの結論として付け加えたものだろう。本文と合致していない。
 マタイは、神から最初に招かれたのはユダヤ教徒で、あとから招かれたのがキリスト教徒だ。今やその順序は逆転している。という理念を語りたかったのだろう。
「あとの者も、先の者も、約束は守られる」というのが適切なまとめだろう。
 この譬え話の趣旨は、その日の仕事にあぶれた労働者も、その日に生きていくだけの賃金、いや次の日も生きていけるだけの賃金が得られるようにすべきだ、そういう世の中であるべきだということだ。
 イエスの思いも、働く者が仕事にあぶれることなく働くことができて、十分な賃金が手にできる社会であるべきだというところにあったのだ。このような社会は未だ実現できていないのが実情であるが。

 

国勢調査を活用した実態把握報告書(第1次)

平成26年9月大阪府府民文化部人権局作成
を読んで分かること。

 平成22年10月現在の国勢調査をもとに独自集計したものである。府下全域、対象地域(「旧同和対策事業対象地域」)、基準該当地域(対象地域と同様の課題がある地域として抽出した地域)との比較資料が実に興味深い。
 基準該当地域が対象地域と同様の課題がある地域ととらえるのは適切でないと本文に断り書きがあるが、比較対照して考えるには妥当である。府下の対象地域をほとんど回った経験からいえば、公営住宅がほぼ100%という地域と府営住宅がほぼ100%という地域を比較対象することは可能である。だいたいよく似ている地域を比較することは意味があることで、新たな枠組みを導入したことは評価できる。基準該当地域の人口は415453人、204632世帯である。
 同様の課題というのは、同和問題に起因する諸課題ではないのはいうまでもないが、起因しない課題に関しては同様の課題を抱えていると判断できる地域である。
 有り体に言えば、対象地域の課題が同和問題に起因すると言えないならば、基準該当地域と同じ課題であると言えるのである。この報告書を読めば、同じ課題を有すると言えるのは明白である。つまり、断り書きはいらないのである。

(世帯員の年齢構成)
*対象地域では高校・大学卒業後、就職のため地域外へ流出する者が多くなっている。
*平成22年ではピーク時の昭和50年と比較して、対象地域の居住人口はほぼ半減している。(149157人→79411人)1981年から1990年にかけての人口減少幅が最も大きい。
*対象地域の「単独世帯」比率は府下全域(35,7%)を大きく上回り、世帯構成の半数弱(48,6%)を占めている。基準該当地域も42,2%と高い。
*高齢単身世帯は、対象地域(18,4%)基準該当地域(22,1%)。高齢夫婦世帯は、対象地域(8,3%)基準該当地域(12,0%)と高い。
*同和対策事業が始まり公営住宅が多数建てられ、地域外からの居住者が増えて人口増となったのが1981年。その後は、学校を卒業した若者は地域外へと出て行った結果、高齢者がとりわけ公営住宅に取り残されという事が分かる。同様なことは、基準該当地域でもいえることであり、同和問題が原因として年齢構成に差異があるとは言えないことが分かる。

(世帯員の学歴構成)
*対象地域の2000年調査と2010年調査との比較すると、大学・大学院が296人(4%)→4561人(9%)。うち男子が217人(6.3%)→3193人(13,3%)、女子が79人(2%)→1368人(5,2%)。比率も倍増している。
*高校・大学卒業生のうちの相当数が地域外へ出て行っていることを差し引いても、対象地域の高学歴化が相当進行している。
*対象地域と府下全域との高学歴化の比較では、構成比で2分の一以下と差があるが、基準該当地域との比較ではほとんど差はない。
*年齢階層別の比較においても、最終学歴高等教育修了者割合を見ても、府下全域との比較では差があるが、基準該当地域との比較ではほとんど差はない。
*対象地域では高校・大学卒業生のうちの相当数が地域外へ出て行っていることを考慮すると、府下全域との差はさらに縮まることが予想できる。
*これらのことから同和問題が原因として学歴構成に差異があるとは言えないことが分かる。

(労働の状態)
*労働力状態を比較すると、対象地域は府下全域より低いが、基準該当地域よりは高いといえる。
*年齢階層別の労働力率を比較すると、男性60歳代で府下全域と対象地域との比較で8ポイントの差があるが、それ以外では、そんなに差が無いことが分かる。また、基準該当地域とは、ほとんど差がないと言える。
*年齢階層別の就業率を比較すると、男性の場合、対象地域は府下全域より低いが、基準該当地域と比較すると30歳以上ではいずれも高い。女性の場合は、対象地域が20歳代で府下全域より6ポイント低い以外は、ほとんど同様であり、基準該当地域とも差がない。
*年齢別の完全失業率を比較すると、対象地域は府下全域より、男女ともに失業率は高い。基準該当地域と比較すれば、男子で50歳代で5,5ポイント良い以外ではほぼ同じであり、女子ではどの世代もほぼ同じである。
*従業上の地位に関しては、正規雇用、会社役員を比較すれば対象地域は府下全域より低いが、基準該当地域より高い。自営業種に関しては、ほとんど差がない。
*職業構成に関しては、ホワイトカラー層を比較すれば対象地域は府下全域より低いが、基準該当地域より高い。ブルーカラー層を比較すれば対象地域は府下全域より高いが、基準該当地域より低い。
*以上のことから、同和問題が原因として労働の状態に差異があるとは言えないことが分かる。

(住まいの状況)
*対象地域の2000年調査と2010年調査比較で、公営の借家(4758戸、61,6%→16010戸、40,7%)持ち家(2278戸、29,5%→11009戸28,0%)民営の借家(514戸6,7%→1180戸28,4%)というように、民営の借家が大幅に増加している。
*割合は変化がないが、持ち家数が増加し、民営の借家が割合、数ともに大増加していることから、解放同盟などがさかんに宣伝していた同和問題に起因する土地差別云々は実態を無視した空論であることが分かる。

(移動者の状況)
*現住地居住期間別世帯員数の状況を見ると、出生時からの居住は府下全域(8,8%)対象地域(8,6%)基準該当地域(6,4%)というように大差がない。
*居住期間10年未満の移動者の学歴構成を見ると、「大学・大学院層」を比較すると府下全域が23,2%、対象地域が10,4%。「小学校・中学校層」を比較すると府下全域が11,8%、対象地域が25,4%。つまり、対象地域では低学歴層が転入し、高学歴層が転出していることが分かる。同様なことは、基準該当地域でも言えることである。
*対象地域は公営の借家の比率は下がったとはいえ、今なお大きな比重を占めている。入居基準を考えれば高学歴、高所得者は公営の借家から追い出され、低学歴、低所得者しか入居できないのが現状である。このことから、移動者の状況は同和問題に起因するとはいいがたいことが分かる。

(私なりの結論)
*実態把握報告書を真摯に読めば、対象地域の諸問題は同和問題に起因するものではない。

 

マラキ書と十分の一献金をどう考えるか

 旧約聖書のマラキ書ほど悪用された書はない。献金強要への悪用である。
 マラキ書は短い預言書なので、すぐ読める。問題の部分は以下の通りである。翻訳によって、かなりの違いがあるが、新共同訳ではこう書いてある。
 3章7節から
7,あなたたちは先祖の時代からわたしの掟を離れ、それを守らなかった。立ち帰れ、わたしに。そうすれば、わたしもあなたたちに立ち帰ると万軍の主は言われる。しかし、あなたたちは言う、どのように立ち帰ればよいのか、と。
8,人は神を偽りうるか。あなたたちはわたしを偽っていながらどのようにあなたを偽っていますか、と言う。それは、十分の一の献げ物と献納物においてである。
9,あなたたちは、甚だしく呪われる。あなたたちは民全体で、わたしを偽っている。
10,十分の一の献げ物をすべて倉に運びわたしの家に食物があるようにせよ。これによって、わたしを試してみよと万軍の主は言われる。必ず、わたしはあなたたちのために天の窓を開き祝福を限りなく注ぐであろう。
11,また、わたしはあなたたちのために食い荒らすいなごを滅ぼしてあなたたちの土地の作物が荒らされず畑のぶどうが不作とならぬようにすると万軍の主は言われる。
12,諸国の民は皆、あなたたちを幸せな者と呼ぶ。あなたたちが喜びの国となるからだと万軍の主は言われる。

 この部分が、どのように悪用されているかというと。
ライフハウスインターナショナルチャーチという教会のHPには、軽いのりで、
『☆献金について☆
今日は十一献金について、書いてみるよーー(^^)♪
聖書には献金について書いてあるんだ!
マラキ書 3:10 (リビングバイブル)
「収入の十分の一をすべて倉に携えて来い。そうすれば、神殿には食べ物が十分あるようになる。そうすれば、わたしは天の窓を開いて、すばらしい祝福をあふれるばかりに注ごう。試してみよ。わたしに、そのことを証明させてほしい。」
十一献金は、自分がもらった収入の1/10を献金として神様に捧げること☆
忠実に献金をしていくことで、金銭面でも金銭面以外でもすべての分野で成功したり祝福をたくさんもらっていけるんだ(^^)
教会を通して神様が望んでることをこの献金を用いて行っていけるし、自分にもたくさん祝福が返ってくる!献金は良いこと尽くしなんだよ〜(´ω`*)♪』
 と言う具合に、悪用されるのだ。もっとも、このキリスト教会は、悪用とは思っておらず、1/10献金をすれば成功と祝福を神は与えてくれると信じているだけかもしれないが。
 1/10献金をしなければ、どうなるのかは、書いてないけど分かるねえ。神は成功も祝福も与えてくれないぞ、というわけだ。
 神というのは、金次第で成功も祝福も与えてくれる存在というわけだね。
 年収1000万円の収入がある人が100万円献金するのと、年収100万円しか収入のない人が10万円も献金するのと同額の献金だと考えている。
 生活保護を受けている信者にも1/10献金をさせるのか?
 ちょっと考えてみれば、そのおかしさが分かるではないか。
 旧約聖書のマラキ書が言っている「あなたたち」とは、いったい誰のことかと言えば、ユダヤ教徒のことを指している。キリスト教徒のことを指していないのだ。イエスは誕生すらしていないのだから。
 十分の一の献げ物と献納物は、神とユダヤ教徒ユダヤ人)の契約に基づいたものである。契約の条項が拘束力を持つのは、契約の当事者達だけなのだ。そういう契約をしたことが無いキリスト者は当事者ではないのだ。
 ゆえに、マラキ書を持ち出してを、十一献金をしないと罪であるというような主張の裏づけとして悪用するのは、許されないのだ。
 「旧約聖書ユダヤ教徒を対象とした約束の書であり、新約聖書キリスト教徒を対象とした約束の書である。」
 新約聖書のどこを読んでも、1/10献金などというものは出てこないのだ。
 ユダヤ教徒のいう神とキリスト教徒のいう神は同じ神ではない。ユダヤ教徒はキリストを神として認めるはずはないのだ。
 献金は、何分の何というようにキリスト教徒の神は、決めていない。ではどするのか。「出せるだけ出せばよい」のだ。何分の何にするのは、一人一人が決めればよいのだ。