オールロマンス事件とは

大衆雑誌「オールロマンス」の1951(昭和26) 年10月号に「特殊部落」と題する小説が掲載された。作者は京都市の職員で、その内容は、作者が環境衛生指導員として勤務する中で知った七条地区の実態を「暴露小説」と銘うって描いたものであった。当時の部落解放全国委員会京都府連は、この小説の内容が誤った認識を助長するとして、その責任を追及した。作者である職員個人の責任ですまそうとする京都市に対して、解放委員会は、誤った認識を助長するような地区の低位な生活実態に対し何ら対策もとらずに放置してきた京都市にこそ最大の責任があるとして、「行政の責任」をするどく追及した。居ならぶ市幹部職員の前に京都市の地図をひろげ、不良住宅の密集しているところ、水道のないところ、下水施設のないところ、消防自動車のはいれないところ、衛生事情の悪いところなど行政的に問題のある地域に印をつけさせた。この追求に京都市も、問題の深刻さと自己の行政的責任を認めざるをえなくなった。この事件は、差別事象を行政闘争と結合させて闘うという運動の先駆をなすものであり、その後の解放運動を大きく発展させる第一歩となったという意味で画期的な意義をもつものであった。しかし反面、この事件はまた、「行政の責任」を絶対化しすぎ、「行政=主敵」論の立場から、解放運動を行政闘争に歪曲する危険性を多分にもっていた。