吹田ニ中事件とは

*吹田ニ中事件とは
 1972 (昭和47)年 6月26目、部落解放同盟大阪府連の同盟員ら130名が、吹田市立第2中学校におしかけ、「解同」の推薦をうけて同和加配教員に採用された土肥良子教諭が「解同」の方針に従わず裏ぎったとの理由で、同教諭を翌27日夕方まで30時間にわたり監禁、脅迫・暴行でつるしあげ、その後も同教諭を支持する民主的な教師集団に不当な攻撃をくわえ、正常な授業を妨害するという蛮行をくりかえした事件。
解同」とゆ着した市教委もこれに手をかし、 9月1目、「解同」の要求に従って土肥教諭ら5名を突然他校に不当配転させた。これに対し教師・父母・卒業生・労働者・市民が集まり、「吹田 2中教師への不当配転反対、民主主義と民主教育を守る市民会議」が結成されるとともに、5名の教師も「解同の干渉による配転命令は違法である」として大阪地裁に提訴、全国によびかけてねばりづよく抗議行動を展開。
 その結果、1976(昭和51)年 6月21日の 1審判決では、「解放同盟の糾弾には行き過ぎもあるが不当とは言えない。市教委の配転処分はやむを得ない」として原告の訴えを却下する不当な判決がだされたが、1980(昭和55)年 3月25日の 2審判決では、「解同」の行動は「現存の法秩序からみて暴挙というべきだ」とするとともに、市教委が「生徒や教師を守るためき然とした態度をとらなかった」ことをきびしく批判、 1審判決をくつがえして、土肥教諭をのぞく 4教諭の処分取消しを命ずる勝利の判決を、大阪高裁から勝ちとった。