復権同盟とは

自由民権運動の過程で構想された部落解放をめざす結社。
1881 (明治14)年11月、福岡県松園村(現福岡市〉の有力者島津覚念らは、「復権同盟結合規約」を印刷・公布したが、それによると、明治維新以後もなお部落差がきびしく、部落住民もまたそれに屈している現状を憂い、ひろく同志を募って事業を起し、「国民ノ国民タノレ所ノ実権」を伸ばそうとして計画されたものである。発起人には、福岡・熊本・大分の三県から23人が名前をつらね、構想としては「復権会社」を創設し、その事務局を博多・熊本・久留米などに設け、やがて九州全域から全国的な規模にまでひろげようとしていたが、実現しないまま終った。しかし発起人を出したいくつかの地域がその後の部落解放運動で拠点となっていったことは、これらの先覚的な動きがその底流にあったことを示すものと考えられる。