華族制度とは

明治維新後、絶対主義的天皇制のもとでつくられた特権身分の制度。明治政府は、封建的な身分を廃止したが、天皇制を維持・強化するために、 1869(明治 2)年に天皇を頂点とし皇族、華族、士族、卒族、平民とつづく新しい身分制をつくった。卒族は1872(明治 5)年に廃止され、士族と平民の区分もしだいに実質的な意味を失っていった。しかし、皇族は天皇の一族として高貴な特権身分とされ、毎年ばくだいな皇室費が政府から支出されるとともに、旧公卿・大名のほか官僚や軍人・富豪の一部を華族身分とし、 1884(明治17)年には華族令を制定して、家柄や功績に応じて公・侯・伯・子・男という 5段階の爵位をあたえた。華族にも多額の年金が政府から支給されたほか、1877(明治10)年には皇族・華族の子弟がかよう学校(学習院)が設置され、国会が開設されると(1890年〉、皇族とともに華族貴族院議員に選出される特権をもち、天皇を国民大衆から守る垣根としての役割をはたした。第2次大戦後、新しく日本国憲法が制定され、主権在民の原則にもとづいて天皇制国家が解体されるとともに、華族制度も廃止された。