2011-01-01から1年間の記事一覧

「同和地区」の呼称について

*この件に関しては、大阪府が2010年に府民意識調査を行った際に、同和地区とは何かという注を付けて説明をしている。この例にならって、羽曳野市が2011年に行った意識調査でも注を付けて説明をしている。あれこれ異論はあるが、一応行政的には、こ…

斃牛馬(へいぎゅうば)勝手処置令とは

1971 (明治 4)年 3月19日の太政官布告で、この勝手処置令によって、死牛馬は持主が自由に処分してもよいことになった。 それ以前では、牛馬の持主はその死体を売却したり利用したりする権利をもたず、死牛馬は無償で賤民身分の者に引きわたされていた。 した…

同和対策事業特別措置法(略称「同特法」) とは

「歴史的社会的理由により生活環境等の安定向上が必要されている」地区に必要な特別の措置を講ずることによって「経済力の培養、住民の生活の安定及び福祉の向上等に寄与すること」を目的として1969(昭和44)年 7月10日に公布・施行された法律。 全文11条から…

八尾市「同和問題に関する基本認識等について」の問題点

(1)はじめに 平成22年12月24日付けで八尾市人権協会理事長(奥田均)が「人権課題に関する提案」なるものをだし、それを受ける形で平成22年12月27日付けで八尾市長名により回答したものである。 奥田均といえば、著名な部落解放同盟御用学者…

寄生地主制とは

戦前の日本の地主・小作関係に基礎をおく半封建的土地所有形態。寄生地主とは、広大な農地を所有しながら、自らは耕作せず、もっぱらその土地を小作人に貸しつけ、高率の現物小作料をとりたて生活する者をいう。 歴史的には徳川中期より発生、明治維新により…

身分〈制〉とは

古代ローマの貴族・騎士・平民・奴隷、中世ヨーロッパの僧侶・貴族・騎士・農奴、インドのカーストのように、奴隷制社会や封建社会の秩序を維持するために人為的・政策的に固定化された社会的地位のことをいう。 わが国の近世の身分制は、豊臣秀吉が、兵農分…

中学校・私家版歴史教科書「同和問題に関わる部分」

(1)中世・・・社会と文化・・・コラム程度で庭園に関することで触れるのがよい。*室町文化から(枯山水の庭園) 京都の竜安寺や大徳寺大仙院などの庭園は,岩石と砂利を組み合わせて自然の山や水を表現する枯山水とよばれる方法でつくられました。この庭…

全日本同和会とは

「同和事業10ヶ年計画」の実施と「同和対策審議会」の設置に際し、部落解放同盟に対抗する融和団体の育成を意図した政府・自民党の働きかけのもとに、柳井政雄(山口)、杉本信雄(兵庫)、森岡信太(高知)、土岡喜代一(広島)、岡本弥智夫〈和歌山〉、山本政…

差別糾弾闘争とは

全国水平社の創立大会で採択された「吾々に対し侮辱の意志を表示したる時は徹底的糾弾を為す」という決議にもとづく基本的な闘争戦術。この差別糾弾闘争は、部落住良の「人間としての自覚」をうながし、部落住民みずからの手による人間としての権利を奪還す…

華族制度とは

明治維新後、絶対主義的天皇制のもとでつくられた特権身分の制度。明治政府は、封建的な身分を廃止したが、天皇制を維持・強化するために、 1869(明治 2)年に天皇を頂点とし皇族、華族、士族、卒族、平民とつづく新しい身分制をつくった。卒族は1872(明治 5)…

近代化論とは

社会発展の歴史を「近代化」の過程とみなし、その「近代化」を工業化や都市化の度合い、マス・コミュニケーション(新聞・ラジオ・テレビなど〉や教育の普及など多くの外面的な指標でとらえていく考え方のことを一般的には言う。 近代化論の本質は、社会主義…

秩父事件(秩父の乱)とは

明治政府、松方デフレ政策による不況と兇作により農民の生活苦が全国的に深刻化するなかで、 1884(明治17)年、埼玉県秩父郡の農民が「困民党」を組織、自由党左派の指導のもとに借金返済期限の長期延長、諸雑税の減免などの要求をかかげて、 10月31日、 3,0…

夏期講座襲撃事件

1970 (昭和45)年 7月29日、京都市岡崎の京都会館でひらかれた部落問題研究所と実行委員会の共同主催による第四回全国部落問題夏期講座に対して、部落解放同盟中央本部に動員された約400名の同盟員らが「粉砕」をさけんで会場におしかけ、これを阻止し防衛し…

賎民とは

東西をとわず階級社会の成立とともに、賤視される人びとがでてくる。わが国でも 2・3世紀には奴稗が存在していたことが知れており、彼らは「奴隷」であり、社会の下層におかれ、賎しめられていた。古代国家が確立し、唐の律令制がとりいれられるに及んで、賎…

復権同盟とは

自由民権運動の過程で構想された部落解放をめざす結社。 1881 (明治14)年11月、福岡県松園村(現福岡市〉の有力者島津覚念らは、「復権同盟結合規約」を印刷・公布したが、それによると、明治維新以後もなお部落差がきびしく、部落住民もまたそれに屈している…

農地改革とは

第2次世界大戦後、1946(昭和21)年末から1950年前後にかけて、アメリカ占領軍の指令でおこなわれた農業における土地所有の民主的改革のこと。 この改革によって、日本の農地のなかばちかくを占めていた小作地の8割が、政府の手で有償で地主から 2反(約20アー…

融和主義とは

部落問題特有の用語で、一般的には差別撤廃をめぐる運動や政策における協調主義ないしは改良主義的考え方をさしている。時代とともに、その使われ方にも変化があった。「融和」という言葉がひろく使われるようになるのは米騒動以後のことで、 1919(大正 8)年…

労農水の三角同盟とは

徹底的差別糾弾闘争事の行きづまりからくる組織的混乱を克服するため、全国水平社青年同盟は1925 (大正14)年 5月、大阪市立中之島公会堂でひらかれた全国水平社事第 4回大会に「われら特殊部義民に対する感情も・….(中略〉…わが国資本主義の封建的性質に支持…

部落民宣言とは

狭山事件を「差別裁判」として闘争をすすめてきた部落解放同盟が、「石川一雄被告の不当逮捕13年目」に抗議して1976(昭和51)年5月22日におこなった全国一斉の同盟休校闘争でとった戦術が始まりであり、小・中・高校の部落解放同盟関係者の児童・生徒に「自分…

映画「人間みな兄弟」とは

(映画) 1960 (昭和35)年 3月、亀井文夫監督の手で完成され、部落問題をはじめて正面からとりあげたものとして広く上映運動が展開され、多くの人びとに感銘をあたえた映画。 「部落差別の記録」という副題がつけられているところからも知れるように、地域住民…

羽曳野市津田市長強要事件とは

1973 (昭和48)年 4月23日におこなわれた大阪府の羽曳野市長選挙で「公正・民主的な同和行政事」を公約して当選した津田一朗市長に対し、市議会に圧力をかけるなど「窓口一本化」の継続を強要していた「解同」大阪府連が、 12月に完成予定の公営住宅への入居…

大逆事件とは

明治天皇暗殺計画という虚構の理由で、多数の社会主義者が逮捕・処刑された事件。 1908(明治41)年の赤旗事件前後から政府の社会主義運動への弾圧が強化され、幸徳秋水を指導者とする無政府主義派を刺激した。 1910 (明治43)年 5月、宮下太吉が爆裂弾を製造・…

解放令と反対一揆とは

封建的身分制の最下位におかれた「えた・非人」などの「賎民」身分の解放を宣言したもので、 1871(明治 4)年 8月28日、太政官布告第 448号として出された。解放令の全文は、「穢多・非人等ノ称廃セラレ候条、今ヨリ身分職業トモ平民同様タルベキコト」という…

八尾市「人権についての市民意識調査報告書」2010年3月を読む

(1)はじめに この調査に関する問題点は、多々これまで批判され尽くしてきた。一番の問題点は、「同和地区住民意識調査」を行ったことだ。八尾市が、特定の八尾市民を選んで「あなたは同和地区住民」だと認定判定したことだ。2002年に同和対事業に関わ…

私家版中学校公民教科書 「部落差別問題(同和問題)」

私家版中学校公民教科書 「部落差別問題(同和問題)」 *差別とは 差別とは、人間としてすべての人に平等に保障されなければならない基本的人権が制限されたり奪われたりすることをいいます。 日本国憲法は、この基本的人権を「侵すことのできない永久の権…

差別とは

人間としてすべての人に平等に保障されなければならない基本的人議が不当に制限されたり奪われたりすることをいう。日本国憲法にも、この基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」として、すべての国民にこれを保障している。ところが現実には、旧「賎…

語りとは

「部落民」が自らの育ってきた過去の歴史〈生いたち〉を話すことにより、差別されても泣き寝いりしていた「部落民」から、差別を告発し差別とたたかう「部落民」へと立ちあがるようになるとともに、部落外にあってそれを聞く側は、自らが意識するとしないと…

属地・属人主義とは

同和対策事業が2002年まで行われた。その際の同和行政の受給対象について属人主義、属地主義および属地・属人主義という 3つの考え方があった。 属地・属人主義とは、同和地区権に居住している部落出身者しか同和行政の事業や施策の対象になりえないとす…

警職法闘争とは

政府は1958(昭和33)年10月8目、警察官職務執行法の改正案を国会に提出した。これは、警察官の権限を強化して、大衆運動の事前禁止、集会の制限、個人の住宅の捜査権などをあたえ、国民から民主主義的自由をうばいとろうとする弾圧立法であった。この警職法…

朝日訴訟とは

結核のため国立岡山療養所で療養中の朝日茂さん(1913 〜1964)が、月 600円の生活保護費では憲法第25条の「健康で文化的な最低限度の生活」を維持することはできないとして、 1957(昭和32)年 8月、国を相手におこした訴訟で、「人間裁判」ともよばれてた。…